《混と溶》
美しさについて条件付けがなくなれば、この世はこうであらねばと言った条件付けもなくなる。
そして、
人がどれだけ理想を掲げ、どれだけ現実を憂おうとも、物理次元の変化はどんどん進んで行く
と言うことも理解出来る。
その変化を、全母たる虚空は天意によって興味深く観察し続けていると言うことも。
人型生命体と呼ばれる、一つの端末としてこの世界を観る時、一度に全てを観ることは出来ない。
只、時に応じて観ることや聴くこと、知ること、感じて味わうことが必要なモノコトはちゃんと現れて来る。
見事なものである。
この所、旅行で来られているだけでなく、学業やお仕事などを持って日本に暮らしておられる様子である外国出身の方を、街でお見かけする機会が増えたことを実感している。
そうした方々と、日本生まれ日本育ちらしき方々が楽しそうに会話される姿も、日常的に見られるようになった。
成る程こうして少しずつ、混ざり合って行くのかと面白く眺めている。
交流することによって得られるのは知識だけではない。
ものの見方や、生きる姿勢、社会に向けたアプローチの仕方なども、互いから受ける刺激によって変わる。
変化の速度は日に日に増している。
不意に潮目が変わったら、ビックリする様な動きが表に現れても不思議ではない。
今の今は、くるくる混ざり合ってどんどん細かくなる時期なのかも知れない。
混ざり合うことと、溶け合うことは、似ている様で異なる。
混ざり合いが重ねられた先に、全体一つに溶けることが起きるのか。
それとも部分的な交換を繰り返して、色合いを変えるに留まるのか。
端末ごとに、進む道は異なるだろう。
その辺りも、興味深く観察している。