《散るも集うも》
あっちでもこっちでも、ずっとくっついていたものが「解散」「解散」と動き出している。
そんなニュースを幾つか目にして、成程と頷いた。
混ざったり溶けたりする動きが増えるには、固まったものが一旦解けて散らばる必要がある。
「え!ここが解散か!」
と、驚く人々の意識内でも「ずっとこの状態が続くと思っていたもののイメージ」がばらける。
そこに新しさが舞い込む余地が生まれる。
空間の新陳代謝は毎瞬行われているが、その中で目に見える変化が起きると、意識も反応してものの見方を変えたりする。
面白い事である。
ばらける動きを起こしているのは目にしている限り、男性型の端末ばかりだ。
それも面白く、興味深い。
何処かに解散する女達も居るのかも知れないが。
男達がばらける姿は男性性を担当する分割意識が、それぞればらけて独り立ちする時期がとっくに来ていると言うお知らせにもなっている。
単独で変てこな動きをする者も中には居るが、多くの男性性は一人一人であればそれほど無茶な動きをしない。
それが、集団になると急に暴走したり暴徒化したりもする。
勿論、世の中には暴走する女性達も居る。
男性に限らず、全ての端末の男性性の話をしている。
これから世の中で女性が集まって協力する場面が増え、そこに自らの内なる女性性を活かせる男性の協力も加われば面白い展開が増えても行く。
女は集まり、男はばらける。
何故かと言えば、これまで多くの女性は集まるのではなくばらけていたから。
家父長制の影響が人々の意識に強くある社会の中で、女性の意識は個々の家に収まる箱入り娘となって分かれていた。
男性も女性も独立した状態に変化するにつれて、それは少しずつ過去のものとなりつつある。
単に集まってかしましいと言ったものではない、女性の協力や連帯がし易くなって行くのではないだろうか。
散るも集うも流れのまま。
(2025/6/26)