《変わる頃合い》
“ 夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘じゃないか
あかねだすきに菅の笠 ”
本日5月1日は、立春から数えて88日目と言うことで、八十八夜と呼ばれる日。
末広がりの「八」が重なることで、八十八が生まれていると言う発想から、縁起の良い日だとされている。
暖かさが安定し、広がって行くこの時期。
冒頭の歌の様に、かつては茶摘みを始めるのはこの頃と知られていた。
現在は温暖化が進み、この日を待たずに摘むことも珍しくないそうだ。
「八十八夜の別れ霜」などと言って、八十八夜以降は霜が降りないともされて来たが、北の方ではまだ雪が降ったりするそうなので、どこもかしこも霜とお別れする訳でもない。
年々、日に日に、「とは限らない」ことが増えている。
意識が予定調和の微睡みから覚める、後押しとなる流れだと感謝している。
八十八夜は茶だけでなく米にも関係している。
八と十と八。
このうち一つの八を、向きを変えて組み合わせると、「米」という字になる。
それが切っ掛けなのか、八十八夜に稲の種蒔きをすると、秋に米が沢山とれると、古くから言われて来たそうである。
ちなみに茶摘みの場合は、八十八夜だと沢山とれる、とはならない。
育ったものを収穫する段階なので、縁起のいい日にした所で量は変わらない。
茶の場合、質をアピールしている。
八十八夜に摘んだ新茶は、不老不死とか不老長寿の縁起物とされ、しかもその新茶を飲むと一年を災いなく過ごせると言う。
しかし、年末あたりに「今年も一年ハッピーに過ごせたね、新茶のおかげさ!」と、言っている人を見たことがない。
手前味噌な茶農家あたりには、そうした人が居るかも知れない。
味噌だか茶だか、訳の分からない話になったが、茶や米と八十八夜の話から分かることもある。
頃合いに行うと、質や量などに反映される。
そして現在は、変わり行く丁度を、集中して丁寧に味わう必要のある変化の時期である。
タイミングは、全体一つの流れに沿うことで分かる。
全体一つの流れが分からない時には、天意からの愛で道を行くことに意識を向けると自然と合って来る。
88はハハとも読める。
米の種は育つことで稲穂となり、次の米たちの母となる。
栄養、水分、日光。
それだけで増え、誰からも何からも奪わない。
人は、足りないと感じた時に不平を言うだけでなく、感謝をしたりする。
昨今の米不足は、有って当たり前くらいに扱われて来た小さな粒への、感謝を呼び起こす流れにもなっている。
変化する、粒の楽しさ。
(2025/5/1)