問い願い

 

全体一つの流れに沿えば、目を覚ます人々が次第に現れることに何の不思議もない

 

夜が明けるのと同じく、それは自然なことである。

 

只、夜明けとは何だろうと言う内なる問いは、覚める際に必要

 

 

覚めるのが自然だからと言って、全母たる虚空は強制的に瞼をこじ開けたりしない

 

「遅刻しない様に、起こしてよママ」

 

と、文句を言う人はのうち、の視点しか開いていないのだ。

 

全母性開くことは、としての観点育てることでもある。

 

 

そしてでありでありと言う謎が解け「な~んだ同じだ」と腑に落ちた時、物理次元は本当に美しく、味わい深く見事だ。

 

本日は世の人が星に様々な願いをかける七夕の日

 

既に申し上げたこともあるが、問い願い異なるもの。

 

にもかかわらず、何でか願い問い代わりにしようとする人は多い。

 

 

世の人が抱えている

 

「幸せになりたい」

 

「人より恵まれたい」

 

こうした願いがあるだけでは、覚めることは起きない

 

 

 

意識の中に問いがある時、行動として全体へ向ける天意からの愛は、身を削るような犠牲変質したりしない

 

素直のまま放出されて全体を満たす

 

そして、問いある者のもとに届いた虚空からの気づき易くする、本人の足元照らす光にもなる。

 

願っちゃいかんと言う訳では勿論ない

 

だが問う時、ああしてくれこうしてくれと言う様々な願いは、自然意識されなくなるのだ。

 

願いは乞い、

問いは立つ。

(2025/7/7)