《勝利と平和》
世界中、色んなところで見られるこのサイン。
御存知の様に、勝利を意味するVサインと、平和を意味するピースサインと言う、異なる意味を持っている。
意味が違うのだから、形にも何か違いがあるのだろうかと調べてみたが、そうした情報は見つからなかった。
違いは主に意味、そして使用場面だと言う。
意味が違えば、そりゃ使用場面も変わるだろう。
更に文化や歴史的背景によってその意義が変わることもあるそうで、向きによっては侮蔑を示すものになると言う。
相手を負け犬扱いして蔑む姿勢は、己の勝利を主張するVサインの派生として生まれた使い方なのだろうか。
他方でこの形は、ピースサインで広まった微笑みをつくる動きの派生なのか、勝ち負け関係なく、写真を撮る時に只今楽しい気分であることを示すものにもなっている。
顔のシャープさを際立たせ、可愛らしく見せるサインとして使われたこともあるらしい。
可愛いは正義とか、見た目で優勝するとか、そう言う価値観も世の中にはあるので、これは顎下ピースと呼ばれてはいるものの、意味的には勝利を意味するVサインの子孫と言えるかも知れない。
侮蔑のVサインと同じ向きなので、中々に好戦的なサインと言える。
歴史としてはピースサインよりVサインの方が古く、戦勝者が手を挙げて「Victory」を示すために用いたとされている。
このポーズが時を経て、スポーツなどの勝負事にも取り入れられ、様々な場面に用いられる様に変化した。
戦争に勝ったぞを示すサインだったものが、その戦争を否定する反戦運動や公民権運動が広まる中で、平和の象徴となったのがピースサインだと言う。
戦争について反対・否定すると言うことは、非暴力を貫いたとして、それも一つの戦いな訳である。
戦いを止める為に、戦うと言う発想。
戦って、平和を勝ち取ると言う姿勢。
何だか訳が分からないが、このサインが勝利を示すものだろうと、平和を示すものだろうと、そこには勝者と敗者や、戦争と平和と言う、相容れない二者が存在する。
「あ、だからなのか」
と、膝を打った。
一つの手のひらから、二つの指が分かれる。
二つの指が、二者を象徴する。
「そして、意味も二つに分かれると」
成程、面白いものである。
スッキリした後にイメージの中で、分かれた二本の指から手のひら、手首に向かって視線を移動させてみた。
すると、当然ながら元は一つと知れる。
勝者も敗者も、
戦争も平和も、
元は一つ。
あらゆるものが、虚空から生まれる一つの表現なのだ。
指のみで存する手はなし。
(2025/4/28)
4月のふろく
《和合の手》
勝利と平和もそうですが意味が異なるものでも、意外と共通する部分があったりします。
バラバラになった拘りを、元の虚空に還して、祝福するのに役立つものをこしらえました。
二方向に分かれたそれぞれの指には、ご自身の意識の中で「これとこれは一緒に出来ないだろう」と感じるものを。
結ばれた手のひらと他の指には、その二つを観察して発見した共通項や、二つが別々に存在する意味を。
それら全てを支える手首の部分と周りの白い雲の所には、分断された認識を内なる虚空に還し、天意からの愛を送られてみて、お感じになられたこと、気づかれたことを。
それぞれ書き込める様になっています。
意識の中に眠っている、相容れない二者の分断を発見された方は、この機に消化と昇華をされておくと、夏に向けて一層身軽に本道を行ける様に、意識も御神体も変化します。