《やわらかな鏡》
世界各地の宗教が次第に融解し終焉化することを告げる内容の本を読み、全てではないが自然な流れの一端を捉えていることは確かであると頷いた。
頑なに信仰を守り続けるには、あまりにも多くの矛盾が白日の下にさらされている現代である。
余程頑張って目を瞑り続けないとならないし、それをすることによる歪みは心身に影響を及ぼすので、中々に嶮しい道と言える。
その本の中に、生物学者であり無神論者であるR・ドーキンスの『神は妄想である』の言葉に同意する形で
「あらゆる神に見切りをつける」
ことが大切であろうと書かれてあった。
理想と恐怖を混在させた、意識が作り出した「神」の像については、確かに見切りをつけることが肝要ではある。
そうした神の像に、意識が執着しなくなった時。
逆にあらゆるものに神性が在ることを自然に認める様になる。
神と言う言葉についた手垢が、どんどん落ちて行く感じである。
不覚の人々が自己都合を織り交ぜて神に付け続けた有難く見せる為の箔も、全体一つの流れにさらされれば個のにおいが付いた垢と分かる。
もう古くなった神のイメージを必要としなくなる時代。
今その変容に向けて、人類は様々な試みを行っている。
見た目を気にする、と言うのもその一つ。
老いも若きもアンチエイジングに勤しむ人が増え、髪や肌のツヤを保つことの社会的重要性も日に日に増している。
顔の造作やプロポーションのデザイン性が優位に立つものであればそれが叶うのだと、切って削って足して吸って縫ってと、あれこれしてみる人も居る。
意識の成熟が全体的に進むにつれて、また技術の進歩によっても、次第にソフトなやり方が多く生まれるだろうが、今はまだ手探りなので、御神体にとって割と無茶なことも行われたりする。
食や運動、意識改革についても同じで、「○○健康法」「○○トレーニング」等、出ては消えてを繰り返す動きもまだ賑やかではあるが、次第に
御神体との和合なくして何をしても空回り
と分かって来ると、必要な所に意識が向かう様になる。
分かるまでどれだけかかるのか。
予測はつけられないし、つける意味もないが、分かる方に流れが向かって居ることは、世の中に起きている変化からも明らかだ。
神社の御神体として鏡が置かれている様に、身体と言う御神体は、やわらかな鏡である。
意識が只今どんな状態であるかを、見事なまでに映し出してくれる。
朝に身支度を整える時、鏡で鏡を見ている訳である。
肌理細かく、観てみよう。
(2025/5/29)
《5月のふろく》御神体三点交流メモ
御神体との和合と申し上げても「漠然とは分かるけれども…」と、そこで止まってしまうこともあるかも知れません。
そこで、より細やかなアプローチを試みるのに役立つものを拵えました。
まず人体図を観察して、「ここと対話してみたい」と直感した部分を三か所選びます。
目、耳、鼻、口など表面に見える部分でも、内臓など直接は見えない部分でも、「皮膚」など広範囲のものでも自由ですし、「右手親指の爪」と範囲を狭めても結構です。
図上のそれが位置する箇所にペンで点を打ち、そこから三つの黄色の丸まで、それぞれ線を引き分かり易く示します。
一か所ずつに意識を向けて、伝わってきたものを黄色の丸に。
三つのメッセージを観察して、共通するものがあればそれを書き、無ければそのままに、三つに対して意識の側から出来ることや、必要な変化など、気づいたことをピンクの丸に。
それぞれお書き頂ける様になっています。
対話を通して感じたことを赤の枠の中に自由にお書きになって消化をされてから、天意からの愛と共に三つの点に感謝を送り、体験の昇華をなさって頂きますと、そこを起点に御神体との交流が深まります。
すると全体一つの流れに沿って行動がスムーズになり、本道を進み易くなります。