《高温洗浄》
こんなの見たことないって程、とっ散らかった雰囲気の中で目下行われている、スポーツの祭典。
つまり、これはこれで人類にとって初めての体験と言える。
エゴや不覚の意識がどれだけ予定調和による安心をしたがっても、本質的にはどこまでも人型生命体は未知を求める存在であると感じ入った。
少しでもお祝いムードを盛り上げようと言う式典についても、重要な役割を担っていた人達の相応しくない一面が露呈し、退陣する騒ぎが相次いでいる。
「開催して欲しくない」「やっちゃいけない」とする、中止が良かった派の人々が放つ不満と非難のエネルギーが渦を巻いていたこと。
どちらかと言えばこれまで“勝ち組”でやって来た人達が、当然のものとしていた神通力の有効期限が、もうとっくに切れていたこと。
この二点に加えて、木曜記事に書かせて頂く潮目の変化もあったことで、随分と派手な画面が出来上がっている。
“間違っているから、祝われないのだ”
と見る人は、まだ聖や善に傾いている。
進化変容は、聖を目指して善良になる為のものだろうか?
誰でもない者は、聖人でも善人でもない。
俗人でも悪人でもない。
聖も善も俗も悪も虚空に返却し、作動させていない。
だから評価や思考をしていない。
じゃ何してるかと言えば勿論、観察である。
只今、この文字を入力している“これ”と言う存在は、姿形の有ることによって部分から見ることを可能とし、同時にその内側では虚空として全体を観ていることも実感出来るようになっている。
見ながら、観ている。
更には、このちっちゃな人型と言う部分から必要な観察も行っており、その時は
観ながら、観ている。
面白いことである。
間違っているいないで揉め続けることにお熱でいる限り、全て同じであったと腑に落ちる「!」が起きることはない。
梅雨明けしてからのお熱供給で、それでなくとも世の中は熱々なのだが、五輪を取り巻くお熱いムードも必要な運びであると、続くメッセージと共に上から知らされた。
高温洗浄
食洗器だけでなく、一部の洗濯機にもこうした機能がついている。
食用油の汚れや皮脂の汚れ等、しつこい付着物に温度の高い状態で水分を加えることで、浮かび上がらせて本体から外す。
この運びが、世の中でも起きている。
世の運びに自然な乗り方をするには、三つポイントがある。
御神体に無理をさせず必要に応じて日陰に入ったり休息するなどし、かと言って夏や日差しや世の熱気を嫌って呪ったりしないこと。
必要な水の量を丁寧に感じ取り、適度に循環させること。
お気に入りの染みだけ取っておこうとしないこと。
珍しい色合いだったり、ハート型や星型になっていたりしたとしてもである。
「バカバカしい、だってシミでしょ?取っておくわけがない」
衣類の染みであればそうかも知れないが、これが自分と信じたキャラクターに見ていたお気に入りの設定だとしたらどうだろう。
おしゃれな自分。スマートな自分。優しい自分。善良な自分。賢い自分。恵まれた自分。可愛い自分。勝ち組の自分。
「その染みは待って!」と指で押さえたなら、当たり前に染みと一緒にグルングルン回ることになる。
折角の高温洗浄チャンスである。
意志ある方は十分に活かして新生する機会として頂くことをお勧めする。
ポイントの最初に、「御神体に無理をさせず」と書いた。
高温洗浄は、普段分割意識が引っ張りまわしがちな御神体が何をどうしたいのか、肌理細かに汲み取り、腑に落とす機会でもある。
丁寧に、息を合わせる夏。
(2021/7/26)