めんそう

 

とは何だろうと字の成り立ちを見てみたら、「顔」のことを表しているのだと言う。

 

剣道のも、そしてを護っている。

 

の所の皮膚を撫でて、

 

「顔でもないのに、表面とはこれ如何に」

 

 

愉快な気分になった。

 

何となく使っていても、ちゃんと向き合うと不思議だなと感じる表現発見することは、面白い

 

「表面的」と似た意味で使われる「表層的」

 

的と付けるとまとまるものの、より厚みがある感じがする。

 

 

層の字の中にある「曽」の旧字体である「曾」の字を見ると、

 

八(湯気)+田(せいろ・こしき)+日(こんろ)

 

の形に分けられるらしい。

 

こんろにこしきを重ねて蒸す。

 

ここから「重なる」「増える」と言った意味で使われる様になったそうだが、「湯気」「蒸す」出て来る

 

 

水分のあるもの熱を加えることでふっくらと蒸されること。

 

空間に現れ、立ち昇り、消えて行く蒸気

 

その増え重なり

 

物理次元における万物の成り立ちがそのまま表されている。

 

見事なものだと感心すると同時に、そうしたことには全く気づかずに「購買層」とか「高層マンション」等、湯気関係なしに使われている「層」が沢山あることも面白いなと、なった。

 

 

人間は観ずにいること、見たい所だけ選んで見ることが、とても上手だ。

 

年季の入った目隠し技能を駆使して、喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんでいる

 

「めん……そう……めんそーれ、って何だっけ」

 

と、ふと浮かんだ

 

不思議な響きの沖縄方言「めんそーれ」。

 

観光客向けに「いらっしゃい」「ようこそ」の意味で使われる。

 

 

日常の会話で「めんそーれ」と来客を迎えることはないらしい。

 

招待する時の「いらしてください」や、別れる時の挨拶として「「またん、めんそーれ(又お越しくださいませ)」としたり、何かをお願いする時に「~むっちめんそーれ」(~をご持参ください)と言うなどして使われるそうだ。 

 

よろしく的な感じで、使われているのだろうか。

 

琉球王国が栄えた当時である江戸時代に武士が使っていた挨拶、御免ごめんそうらが転じて出来たものであるとか、

 

やはり同じ武士言葉の「参り候へ」「参り召しおはれ」が元となったとするなど、

 

 

「めんそーれ」の誕生過程には諸説ある。

 

現代では敬語ではない言葉だったものが、1970年代に行われた沖縄国際海洋博覧会を盛り上げる時に、敬語表現としての「いらっしゃいませ」的な意味で広められたそうだ。

 

御免候へや参り候へから生まれたなら、めんそーれは面とも層とも関係がない。

 

だが、内外の境にある、それが重なるも、めんそーれと同じくウェルカムの歓びを以て物理次元している。

 

それも又、面白いことである。

 

歓待で、進めてみよう。

(2023/6/26)