《辛と病》
“辛い”と感じる時、そこには一体何が起きているのだろうか。
調べている内に、辛いとは「ヤミツキになるものである」とする、興味深い資料に行き当った。
人間の舌などにある、味を感知する役割を持つ味蕾細胞。
それによって感じるものは、塩味、苦味、甘味、酸味、旨味の5種類であり、辛さは口の中にある痛覚で感じ取る「痛み」であるとしていた。
味ではなく、痛み。
痛みを感じた時にそれを抑えようとして出るβ-エンドルフィンには、鎮痛作用だけでなく陶酔感や幸福感をもたらす作用もあるらしい。
鎮めて、酔い、更に幸を得る。
痛みに慣れて鎮静の必要が薄れても、陶酔感や幸福感を求める気持ちは残る様で、そうして至るのが“ヤミツキ”の状態なのだそうだ。
香辛料と呼ばれるだけあって、辛さだけでなくそこに香りが加わることも多く、味覚だけでなく視覚や嗅覚なども使って味わうから、「“痛く”ても“旨い!”のだ」とその資料には書いてあった。
つまり旨辛と言うことか。
分かち難いなら両方を味にカウントしても構わなさそうだが、人間は3大○○や5大○○と奇数にするのが好きだから、6だと何だか中途半端に思えるのかも知れない。
それにしても、そう言えば「やみつき」って何だろうか。
大抵人はこの言葉を、食べるものに対して好ましい意味で使っている気がする。
調べてみるとやはり、「やみつきキュウリ」とか他にもキャベツ、ピーマン、チキンで出て来た。
尽きない食欲を表す「つき」とかなのだろうかと、調べたら全く違った。
漢字を使うと、
病み付き
やみつきになるとは「病気になること」を意味するのだそうだ。
そこから近年では意味が転じて、
何かにとりつかれたように夢中となり、やめられなくなること
これを、「やみつきになる」と使う様に変ったらしい。
肉体の不調と言うより、恋の病なんかも含めて神経や精神に関わる病をイメージ出来る。
爪、狩り、武器、戦争と意識を順に巡らせていて、不意にそれらが一つのまとまりを持って繋がったと、前回記事にて申し上げた。
その時に分かったのは、信じる正義の為であれ、防衛の為であれ、始めた狩りや戦争には獲得や達成によって得る興奮があること。
その興奮のもたらす快感が、互いに爪や武器を磨いて戦いに臨み続ける、原動力となっていると言うこと。
それはまさに、やみつきの状態。
辛さにも辛さにも終わりがないかの様なやみつきだが、永遠とは行かない。
『やみつき○○』の料理名や食品名とほぼ同じ意味で、『無限○○』と付いていることがある。
だが、袋に入った菓子にも、皿に盛った料理にも、胃袋にだって容量がある。
一回一回の体験は無限にはならないし、ずっと続く病も無い。
極端な激辛中毒を卒業すると、ピリッとした刺激が人生に加わってもそこに酔うことがなくなる。
あらゆる味わいを惜しみなく楽しむには、
十分な消化と昇華をしておくことが必要不可欠である。
刺激だけでは、満ち足りない。
(2023/7/3)