《縁起でもない?》

 

今週は、と並ぶかそれ以上に人間が気に掛ける「」について、書かせて頂くことになった。

 

「縁起でもない」とは、良い前兆でもないことを意味し、

 

「 不吉なものを感じてさい先が悪い。とんでもない。不吉だ、縁起が悪い」

 

状態だとされる。

 

良くないことを招くからやめなさい」と諫める意味合いでも用いられるそうである。

 

つまり「縁起」そのものが「良いもの」だとされていると分かる。

 

 

ところが、縁起って何なのかを調べてみると「吉凶の前兆。因縁により、あらゆるものが生ずること」と、出て来た。

 

前兆なら、それはまだ吉とも凶とも定まっていないはずなのだが。

 

縁起はサンスクリット語「pratitya-samupada」の漢訳で本来は、

 

精神的な働きを含む一切のものは、種々の原因や縁によって生起する

 

と言う意味だそうだ。

 

「種々の原因ってザックリしてるなぁ」

大体全部じゃないだろうか。

 

仏教の中心思想の一つであったそうだが、最初にフワッと定義したことが、良し悪し染め上げられて何となくそのまま使われているとは不覚ならではと言える。

 

この、そのまま使用状態の縁起を人間は結構気にする。

 

縁起の良し悪しについて分かり易そうなものとして、御籤を観察してみて気づいたことがある。

 

よく大吉の次に良いのが中吉などと言われたりするが、御籤が大吉でなく中吉だった場合、引いた人を観察すると「まぁ悪くない」「何で大吉じゃなかったんだろう」の混在した反応が見受けられる。

 

「ヤッター」と喜びを感じるのは、どうやら大吉onlyの様子。

 

 

普段から幸運なものですから引き慣れていますわと言った感じに“大吉スレ”していると、その大吉にすら「まぁね(フフン)」的な反応になる。

 

それに比べて、凶への反応はどうだろう。

 

大凶でない只の凶の時点で人のテンションは大幅ダウン。

 

テンションが下がるばかりか、幾分ショックを受けたりもする。

 

大が付こうが付くまいが、凶な時点でもう歓迎されない雰囲気であり、凶を引いて「まぁ大凶じゃなくてホッとしましたよ」と言う人を見たことがない

 

ここから人はについて、より大分敏感に反応するものなのだと気づいた。

 

そりゃそうかも知れない。

 

生き抜くことが目的である不覚状態では、危険を感じるモノコトは出来るだけ避けたいとなっても不思議はない。

 

吉に危険性はなく、凶にはあると言うことか。

 

危機に反応する癖が、“縁起でもない”として凶を遠去けようとする動きに繋がる。

 

凶の神籤も、内容を味わってメッセージを受け取ったのかどうか怪しいまま、木や紐にくくりつけて持ち帰らずに片そうとしたり。

 

 

そのままだと処理が難しいが捨てたいもの上手く片付けると言う点では、古い油に使う固めるテンプルみたいである。

 

面白いことに避ければ避ける程凶は凶として、明確さを持って、その遠去けられた所に留まるのだ。

 

冷たく固められた氷の様に、意識の中で溶けずに残り続ける。

 

凶について「気にしない」「出来るだけ早く忘れる」と言う反応も、内容に向き合っているとは言えないので、放ってもやがてブーメランの様に戻って来る。

 

 

御籤の吉凶は個人差なく共通したものだが、人間は各々でもっと複雑化させた”My凶事も意識内に保存している。

 

 

火事が凶

 

犯罪が凶

 

イジメが凶

 

破産倒産が凶

 

病気が凶

 

事故が凶

 

天災が凶

 

貧困が凶

 

自殺が凶

 

「どれもこれも吉な訳ないでしょ!」

 

確かにである必要はない。

 

だが、とする必要もない。

 

出来事は全て出来事であり、そして人が関わる時には体験となる。

 

絶対悪がない様に、絶対凶もないのだ。

 

だが、人は先に並べた様な諸々に凶判定をつける。

 

更にはそれぞれの好みや立場、事情等に沿って「絶対に我が身に起きて欲しくないこと」や「絶対に関わり合いになりたくないこと」に、大凶判定をする。

 

 

そして、対策を練ることが出来ないものについては、なるたけそのことに関する情報を入れない様にする。

 

見聞きしないことにして、普段好ましく縁を結びたいものに対しては張り巡らしているアンテナを畳んで仕舞い込み回線を遮断して、どこ吹く風とする。

 

だが、その様にして幾ら避けても帳消しにはならない

 

消化して昇華し、丸ごと全体に溶けることと同じにはならない。

 

嫌なものだけ無いことにするのと、全て無だったと分かることは、同じでないのは明らかである。

 

事の起こりに吉凶なし。

(2021/11/29)

《11月のふろくその1・出向祝福しゅっこうしゅくふくメモ冬編》

 

母神祭の催行にも、それ以外のお出かけにもご活用頂けるメモの秋に続く冬編をこしらえました。

 

ひょうたんには日付、

 

炬燵にはこのお出かけのテーマ、

 

左の花には出向く場所を、

 

右の花には実行されたことを、

 

それぞれ書き込める様になっています。

 

杵でつく餅の弾む臼には、このお出かけで知ったこと、感じたこと、分かったことを自由にお書き下さい。

 

更に「めでたし」と感じた弥栄なことがありましたら、横の鯛にお書き添え頂き、この季節ならではの新しい体験を存分にお楽しみ下さい。

 

一枚目はクリスマスまで、二枚目はそれ以降の正月気分が抜けるまで、三枚目はそこから春が来るまでお使い頂けるものになっています。

 

 

《11月のふろくその2・内観吉凶振り返りメモ》

 

意識の中で縁起が良い悪いと判断して来たものを、文字の形にして整理する為のメモです。

 

左には縁起が良く好んで来たもの、右には縁起が悪く避けて来たものをお書き下さい。

 

良いものとは縁を結びたがり、悪いものとは縁を切って祓いたがる。

 

素直に内なる分類を書き出してみて、「果たしてそれが全体一つと言えるのだろうか?」と、改めて問い直してみられると、これまでとは違った見え方が出来るようになります。