《綻びる帯》
「まぁ、そらそうだ。しかし何とも見事なもんだ」
と上から示されたことに頷いた宮司。
ここ数年のウイルス流行も手伝って、各国とそこに形成される社会に起きた変化についての話である。
各国、とりわけ主要国や先進国と言った呼び方をされる「割かし恵まれている」とされる国々にあった、
この国で生きてればまぁ保たれるでしょ
の、見えざる保証を支えていた連帯感が綻びて、あちこちに穴が空いた状態になっている。
そんな保証は元々なかったのだ、少なくとも現在はないのだと人々が感じ始めている。
連帯感を保っていたのは、人の目だ。
つまりは見なし連帯、見なし保証だった訳である。
ウイルス騒動の波が来て間もない頃は、連帯で乗り切ろうと一時的に結束が強まった。
だが、保っていたものも日々歩むにつれて次第に疲弊し、やがて綻びを作る。
「我慢強さ」は美点とされなくなり、「そうは言っても食べて行かなきゃ」と様々な動きが起こる。
一昨年の様なウイルスに対しての「負けるな」とか「打ち勝とう」と言った連帯を呼びかける表現も、人々の心に大して響かなくなっているのだろう。
そうしたメッセージは見かけなくなり、「この時代を生き抜く為に」とか、連帯より脱出をイメージさせる言葉の方が心を掴んでいる。
自立なき脱出では、ずっと似た様な所をグルグルするだけとなる。
生き抜く為の方法を説くお気に入りの教えと腕を組んでこの混乱を一抜けしようとしても、教えに縋っているなら、もっと良さげな教えが来たら乗り換えたくなる。
強壮剤めいたメッセージを摂取出来る程元気じゃない人に向けてなのか、「疲れた心を生き易く」しようとする精神安定剤みたいなメッセージも多く出回っている。
強壮剤と安定剤。どちらか一方でなく、両方使う人も居るだろう。
バリバリやったり、シューンとしぼんだり。
賑やかなことだ。
目下のところ不覚社会は、人類の霊長を名乗って作った理想の残骸と、壊れた理想の隙間から漏れ出て来た動物的生存欲求が混在したまだら状態になっている。
連帯による括りが機能しなくなったことで、帯の中に居た人々の動きも分かれて行く。
連帯せず、自立した状態で全体を活かす道に向かい行動を起こす人。
連帯せず、信じられるのは自分だけと己と身内を守ろうとする人。
残っている帯でどうにか小さな連帯を作ろうと纏まる人。
帯の端切れにしがみ付いてその陰に隠れようとする人。
様々に分かれ行く中で、こちらが注力するのは一番目に挙げた人々である。
彼らが生まれて来るのを静かに観ている。
観察と行動はセットなので、こちらも惜しみなく動きながら。
連帯して溜め込み、昇華されずに留まったエネルギーはやがて停滞する。
意識を覆わず包まず帯で締めず、丸まま素直に生きて行く時、
必要なものが必要な方向へ流れ出すのである。
愛に延滞なし。
(2022/5/23)