《福の門》
鬼の間で微笑んでいる、ぷっくり下膨れなこの女性。
美人の象徴であったものが不美人の象徴に引っくり返ったと言われるその変化も興味深いし、愛嬌との関連についても知りたい所。
大らかに笑っているお顔が多いからだろうか調べる程に楽しく、新鮮な面白さと共に観察を行っている。
ありがたいことと感謝している。
節分に活躍するお多福さんにも興味が湧いて、あれこれ調べて眺めていたら、一部地域に面白いものを見つけた。
お多福くぐり。
西日本、と言ってもその殆どを九州地方に見る。
半期に一度のリセットをして無病息災を願う茅の輪くぐりに似るが、輪っかではなくお多福さんの顔がゲートになっている。
巨大お多福の設置は田中諭吉と言う著名なプランナーの発案で、1961年に行われた櫛田神社の節分大祭時に行われたものが初だそうだ。
福を授かるのを祈って待つのではなく、
「呼び込むんじゃなく飛び込め!」
サイドが短いガーリィなヘアスタイル。
と、自ら福を取りに行く積極的な姿勢を表したものらしい。
虎穴に入らざれば虎子を得ずみたいな感じになっている。
大切に持ち続けて手放さない秘蔵の金品のことを、虎の子と呼んだりする。
企画者をはじめ世の人がお多福門の先に見る福のイメージは、金品寄りのものであるのかも知れない。
そのアイディアが“諭吉”から出て来たと言うのが又、面白いことである。
福澤の諭吉が世を去った5日後に田中の諭吉が生まれており、命名はそこから来ていると言う。
田中は福澤がお札の肖像になる前に世を去っているので知る由もないが、どちらの諭吉も福と金に縁がある。
切っ掛けがゲットだぜ姿勢であっても、福に入ろうとする動きが入滅からの至福を意味するなら、無意識に本道に向かうヒントを掴んでいる。
お多福はおかめに通じ、ふっくらとした中空の「瓶」は虚空の雛型。
現世利益を積極的に求めつつ、虚空の母を求める胎内回帰を模したものにもなっているお多福くぐり。
ヒントはあくまでヒントなので、掴んだまま知らん振りでゲット遊びに興じることも可能。
珍しい顎から入るタイプ。
母のお腹に戻ろうとすることと、「母であり同時に子であった」と全体一つに帰還することは、申し上げるまでもなく全く別のこと。
但し「別である」だけ。
どちらを行くのも自由。
そこに正誤を言うことは出来ない。
お多福さんは誰のことも拒まずに大らかに口を開けている。
特に選んだ人を招いて吸い込んだり、吹いて押し戻したりもしないのである。
福の奥に空。
(2023/2/2)