しきつどい》

 

成人年齢が18歳に引き下げられたことで、不覚社会成人式と呼んで来た行事は一体どうなるのかと見ていたら、

 

成人するのは18に。

 

記念の行事は20に。

 

この様にする地域が多いそうだ。

 

理由として、18歳時には受験・就活シーズンが重なることや、成人式で酒を楽しめないこと、金銭的負担が大きくなること等があげられている資料を発見。

 

酒を飲まなくても式そのものは出来る。

 

「式と来ればその後は、飲んでパァッと騒ぎたいよね、そうだよね」のご意見は、何処から出て来たものなのだろうか。

 

当の成人になる方々アンケートか何かとってお尋ねした上での決定なのだろうか。

 

 

20より18の方が金銭的負担が大きいとは、もしかして家だけでなく「当人が諸費用を自腹で調達」することも含めているのだろうか。

 

ニーズを確認しないまま出される「良かれと思って~」であるなら、トンチンカンなズレ方をしていても不思議はない。

 

早く社会を支えて欲しくてとか、早く保護しなくていい状態にしたくて等、社会の都合で成人時期を早めておいて、

 

「イベントは開催しますからお金は皆さん自身も頑張って」

 

と言うなら、それも又随分と強引な感じである。

 

そうした変てこな不覚社会「ハイ、あなた成人ですからよろしく」となった時。

 

あてにならないご都合社会の中で、自立しようと奮起する人

 

漠とした不安に包まれて、戸惑う人

 

様々だろうが「やったー、やっと成人だ!」と喜ぶ人より、先行きの不透明さもあって冷ややかな目でこの状況を見ている人の方が多いかも知れない。

 

 

これも又、世間を見渡して「年数かければ大人になる訳じゃないんだな」認めて腑に落とすことの出来る重要な機会である。

 

そんなこんなの変化の中で、「成人式」と呼ばれて来た行事も「二十歳のつどい」と名称が変更になったりしているらしい。

 

「集い?」

 

と、面白く眺めた。 

 

儀式や式典等、には宣言や誓いをする機会がある。

 

しかし集いだとそれはなく、喫茶と並べられる娯楽的な感じに。

 

 

パーティー的なお楽しみ要素だけで終えることも出来る。

 

開催日も地域によって違うらしく、こうしたフワフワ加減にも厳粛な儀式ではなくなったことが表れている。

 

から集いへの変化は、人の都合で作る儀式効力のあった時代は既に過ぎたと言うお知らせにもなっていると気づき感心した。

 

成人すること。大人になること。

 

それは誰かの先導に従って、「せーの!」でする様なことではなかった。

 

ここから、成人の在り方がどう変化するのか。

 

興味深く観察を続けて行くことにする。

 

隠れなく、表れ出るもの。

(2023/1/9)