《味も素っ気も?》
「へへぇ、そう言えば面白いもんだ」
と、調べ物の途中で、ある表現の不思議さに立ち止まった。それは、
味も素っ気もない
意味を調べると、
味わいやおもしろみが少しもない。
無味乾燥で、趣や潤いがまったくない。
と出て来た。
見つけた解説には使用例として、
「そんな味も素っ気もない言い方はないだろう。もうちょっと親身になって考えてくれよ」
そう書かれていた。
成る程、親身や趣がないと素の気がないことになるのかと、「おもしろみがない」と不満顔の素っ気ないを面白く眺めた。
元気があるとか元気がいいとする時、それは気力や活力と言った「力」の話であり、親身や趣は関係していない。
元にも素にも「モト」の読み方があるが、
元気ない
と
素気ない
ではこんなに意味の違いがあるのだ。
「元っ気ない」と、ちっちゃな「っ」を入れたりしない元気にはそのままの、人によってはそれこそ素っ気ないと見なすだろうストレートさがある。
素気の方は「素っ気ない」とすることも出来る。感情の勢いがちっちゃな「っ」に込められて、ほんのりとした期待が見え隠れする。
自分中心にモノコトを捉える人が、思い通りに動かせない相手に「素直じゃないなぁ」と言ったりする時の様に、素には個人の意図をしのばせることが出来るらしい。
個人の好みに合わせて望んだ味を付ける味の素であり、元や本のモトと違って全体の中でのある一部分に位置する。
どうやってこんなに違うものを、「モト」として纏めることが出来たのだろうか。
まだまだ、知らないこと分からないことが沢山あると嬉しくなった。
これから知れるし分かることが沢山ある。
例えばリンゴについて
「丸い。赤いのも黄色いのも緑のもある。黄や緑のものを青リンゴと言ったりもする」
としただけだと、これは素っ気ないだろうか。
「リンゴの香りはとても良い」とか、「リンゴの艶やかさはとても綺麗だ」とか「リンゴの歯ざわりが特に好きだ」とか、何かしらのリンゴ可愛やが含まれていないと、素っ気なくなるだろうか。
イメージ上のリンゴに「丸いね」「赤いね」など発しながら、お手玉の様に放り投げては受け取りしてみたが、リンゴから「素っ気な~い」の反応は返って来なかった。
お褒めの言葉を求めるリンゴ農家や取扱店であったり、リンゴの産地として地元をPRしたい人々ならこの件を素っ気なしと出来るかも知れない。
素っ気ないには、人の思惑や期待、都合や価値観が要る。
お褒めや労りが含まれないと味気ないと感じることが、覚めぬままで行われる人対人の情を求めるやり取りの中に起きても何ら不思議ない。
世の人の多くは情と愛の区別がつかないし、情で測って愛を手にしようとする。
これはリンゴが丸かったり赤かったりするのと同じに、観察してそのまんま分かったことである。
こうした観点も又、「人間に対しての慈しみや労りがない」と、素っ気なく感じられたりするかも知れない。
素っ気に興味が湧いて調べてみたら、これが当て字による後付けの「素」であると知った。
やはり、人はモトさえ後から途中で足せるのである。
益々面白かったので、これについては次週書かせて頂くことにする。
継ぎ足し付け足しタコ足配線。
(2022/10/6)