《偽嫌問答》
「嫌です、嫌、僕は嫌なんです」
先日電車に乗っていた時に、後から来てすぐ隣に立った男性が、ずっとこう言っているのに気がついた。
「僕は嫌、嫌なんです、嫌です」
とも仰っていた。
こちらに向いて言っている為、右耳からお言葉全部を頂戴する感じに。
スマートフォンに似たサイズの、両手で端を持って扱うちっちゃなゲーム機を操作しながら、「僕」と「嫌」を組み合わせた訴えかけを繰り返している。
そんなに嫌だなんて一体どんなものなのだろうと横を見たら、声の主が全く嫌そうな顔をしていない。
逆に、薄く笑って楽しげな様子である。
どう言うことだ?
と、一気に興味が増した。
嫌と言うことが、好き。
そんなことって、あるのだろうか。
と言っても、目の前、と言うか耳の横で現実にそれは起きている。
「一体何がです?」と聞いてみたくなったが、2つの理由でそれはやめにした。
1つは、多くの人は自宅でもする機会がないだろう長い独り言を、電車内にて全開で出来る人には、こちらにも分かる様な客観性をそなえた説明をすることは難しいのではないかと感じたから。
もう1つはお尋ねすると多分、他の乗客にとっては「ヤバい奴がいる」から「ヤバい奴が2人いる」状態に変化する。
学校や仕事が終わってやっと帰れると言うお疲れ様な雰囲気が漂う車内で、いたずらに周囲の疲労感を増やすこともないかとなったからである。
疲れてみると言う体験が必要な場合もあり、疲れちゃいかんと言う訳ではない。
だが、問いかけても答えの返らないことでわざわざ増やしてみる程、必要な疲れも別にないのではと言う気もする。
嫌をエンジョイする彼に話を戻すと、以前記事に書いたシモネタ坊やの再来みたいに、見事なまでに途切れることなく嫌を口にし続けている。
大量の嫌じゃなさそうな嫌を耳にしている間に「嫌とは何か」と、興味はそちらに移って行った。
嫌って、何なのか。
嫌じゃないのに嫌と言う時、嫌の振りをして心の内に居るのは、一体何なのか。
好きを仕事にする、と言うのは聞いたことがあるフレーズだが、嫌を趣味にするなんてこともあり得るのか。
嫌を連発する彼については、理由を知れる訳でもないし、後もう知りたいのはこの事態が何処に着地するかだなと観察していたら突然、
「降ります!!!」
と、ゲームも嫌もぴたりと止めてはっきりと言い放つと、周囲の人を掻き分けながら降りて行った。
降りる場所が、何処なのか分かっている。
降りる場所に、着いたことに気がつける。
降りる時には、嫌は止む。
結構色々出来るんだなぁと発見し、彼にないのは「人目が気になる」とか「気が引ける」と言う共感する力に支えられた部分なのかも知れないと気づいた。
だが、ゲームを楽しむのにも共感力は使うんじゃないだろうか。
ビックリするほど静かになった車内で、謎だらけの人物が残して下さった「嫌とは何か」と言うテーマに感謝した。
それについては来週記事にて書かせて頂くことにする。
嫌を偽る意味とは?
(2022/12/1)