《争奪するは我にあり》
「へぇ、こりゃますますメッセージ性に富んで来たな」
と、月曜記事に書いた出来事について観察して再び唸った。
流れ出た土砂の大半が盛り土であったと言う公表を受けて、「人災だ!」と騒ぎになっている。
「偽深層ってこと?」
盛りに盛った都合に埋め立てられ、その下の地層が深層状態になったと言うことなのか。
調べてみて、現地調査に基づいて人災と見解を公表した地質学者の分析内容から、更に興味深いことを知った。
調査によると、盛り土付近には造成によって尾根が削られた部分があり、人為的な造成で尾根を平らにしたことによって雨水の流れ込む範囲(集水域)が変化。
この造成地側から盛り土側に雨水が流入した結果、土石流を誘発したとのことだった。
元々の集水域であった川に加えて、その北に位置する川の集水域に降った雨も、まとめて盛り土側に流れ込んだと分析している。
この現象を「河川争奪」と呼ぶそうだ。
河川の流域の一部分を別の河川が奪う地理的現象だと言うが、河川は別に何も争ったり奪ったりしていない。
利権の争奪戦を展開するのは人間の我欲であり、ワイワイした我田引水の結果を河川の動きに負わせることは出来ない気がする。
だが、学者である人もこうした表現に「?」と気づきを起こしたりせずにそのまま使っている。
学識の有る無しではなく、中立な感覚で「?」は起こると分かる。
中立に観ていると、世の中的には堅気の商売である造成と、そうではない不法な投棄や盛り土は、どれも収益を狙った我田引水である。
真相究明や犯人糾弾の声は、盛り土で盛り上がっているが、堅気じゃなさそうな辺りを責める所で留まるのだろうか。
各地の造成で人工的に平らにした場所には家が建っていることもままあり、そうした所に住んでいる人も居る。
造成を叩くと大多数の不覚者が暮らす堅気ゾーン内のことなので色々影響も出て来るが、自分達におよそ関係のない領域の悪い人がしたことなら、ある意味安心して犯人扱い出来るとも言える。
普段から地質について研究している人が現地に出向く調査もして達した見解こそ、観察する必要があるだろうに、
“我々好みの犯人が見つかれば、
それ以上追わなくても結構だ。”
だとすれば真相究明って、一体何なのだろうか?
土石流跡の斜面からは、湧き水が相当出ていたそうである。
「造成で尾根を平らにした人為的な河川争奪を意図的にやったのか、知らずにやったのかは不明だが、盛り土の隙間に水が溜まり地下水も入り込んで浮力が働いて滑り落ちた」との説明に、成程となった。
奥からの呼びかけに、
我田引水が加わると、
激しい流れが発生。
ついでに言えば、善に傾いたり麗しく飾ったりして分割意識が適当に行う偽の平らかでは、総崩れした時の勢いがどっと増すことも分かった。
深層崩壊についてのニュースを出来る限り丁寧に洗い直してみたが、今回はそうであったのかそれとも違うのか明言するものは見つからなかった。
しつこく追うと厄介そうな犯人像が浮かび上がったからか、不覚社会では既にこの件にも飽き始めており、あまり注力されていない様子である。
盛り土が関係ない地域に住んでいる人々なら、ある意味高みの見物で“可哀想ショー”として報道を観ることが出来るからだろうか、感情に訴える面を主としてまだ多少ニュースをこしらえ続ける人々や、それを求める人々も居る。
恵まれた我が身の確認と、善なる面の発動の快感と、悪を非難する興奮。
これもそんなに長く持たない。もう殆ど誰も、ガードレールの話をしていない。
スナック感覚で頬張る悲劇は、腹持ちしないのですぐ別の一袋に手が伸びる。
そしてエゴを肥え太らせ、腰を重たくして足取りも重くする。
深層崩壊については、お目にかかる機会のある方からまさにそうしたことが起きたとのご報告があった。
崩壊の最中に、意識が構築した自分物語から脱する体験も出来たとお知らせ頂き、必要なことは必要な時に起きているのだなと、改めて納得し感謝した。
シンプルな事実を三つ挙げておく。
各地に降る雨の勢いは増していること。
地震も着実に起き続けていること。
この世には深層崩壊と言う現象があること。
これらと素直に向き合うなら、中立であることについて本気にならない訳がないのだ。
中立は争えないし奪えない。
(2021/7/15)