《たねもしかけも》

 

きざんで小山の様にしたタマネギの横で、今度はこれをみじん切りだとニンニクの袋を開けた宮司

 

「うわー」

 

少し見ない間にすくすくと育ち、その中にはこのまま足になって駆け出すんじゃないかと言う程の元気な根を生やしているもの達がいた。

 

上からの提示ちょっとした好奇心を切っ掛けに、「無農薬・無化学肥料で育った植物を食べ続けると御神体及び分割意識に何か変化が起こるのか」と言う実験を始め、野菜も基本的にそうしたものを買い求めている。

 

御神体の変化より先に感じたのは、生き続ける気が旺盛なものに良く出くわすと言うことである。

 

 

手の中のニンニク達も、これから生える伸びるに満ちている。

 

サトイモの次はニンニクか、となったがまぁ

 

「生えたいなら生えることだ」

 

と、すこぶるやる気に満ちたもの達を栽培用にとり置くことにした。

 

生えた後に増えたいのかどうかまでは知らないが、そうなったら種イモならぬ種ニンニクとなる。

 

みじん切りを終えて、そう言えば「種」がこの所やたらと集まって来るなと、油の中に入れた小さな種達を熱しながら気がついた

 

 

各種のスパイスが、五感を通して御神体及び分割意識何か変化を起こすのかどうかも、調べている最中である。

 

これも上から示された流れに沿って動いていてそうなったのだが、こちらの自由意志もそれに興味を感じている。

 

「何がどうなるのか」知りたい。

 

変化がなければないで一向に構わないし、当たり前だがそこに特別「狙い」と呼べるものはない

 

だが、日々確認している変化について、似たことをして何か書き記したものはないかと資料を探すと、大抵「健康に良い」殊に「脳に良い」とされるものが出て来る。

 

人間がどれだけ健康を求めて来た、そしてどれだけ御神体の中で脳とそれ以外とを切り離して捉えて来たかが分かって面白い。

 

 

外付けじゃないよね。

 

脳も御神体の内であることは明らかで、そこも含め全体の調和を目指すと言うコンセプトの資料もある。

 

只、それも「全体の巡りを良くする」「バランスを整えて良い状態に導く」と、悪いものを良くする所からは外れない。

 

ちなみに「はっきりとした効果をうたえない場合、導くと言う表現を使う」ことが多い様である。

 

神様仏様のお導きみたいな有難味もある上に、不満を言われても「導入部分ですから」と前座におさまることが出来る。

 

「導きって、エゴにとっては割と便利な言葉かも知れないな」と、その仕組みに気がついて感心した。

 

悪い方へは誘惑良い方へは導き

 

導きのバトンを人から人へ渡しつつ、反動で時には誘惑に足元をすくわれたり。

 

そうして人類はずっと、悪いものを良くしよう間違ったものを正そうと、頑張って来たのだと味わい深く観察している。

 

手品を披露する場面で「タネも仕掛けもありません」と言ったりする時代もあった。

 

タネと仕掛けの両方がない手品はなく、仕掛けがなくタネだけを腕前で魅せる手品はあるらしい。

 

とすれば「タネも仕掛けも…」と言うことになるが、このは裁かれないしとっちめられもしない。

 

言う側に悪意なく、言われる側もちょっぴり「ホントにタネも仕掛けもないものが見れたらすごいなぁ」と期待しているので、その場に居る全員に嬉しい“お約束”として機能しているからだ。

 

 

一方で多くの人は、「噓はいかん!」とする“正直が正義”プログラムも日常的に動かしている。

 

その時その時で優先させるプログラムが違っている。

 

目先のプログラムに左右されないで全体を引きで眺めると大変に矛盾していることに気づける

 

だが、不覚社会に生きる人々はそれをしないまま沢山の矛盾の中を行き来して、「何かぶつかるなぁ」と怒ったり戸惑ったり弱ったりしている。

 

手品に話を戻すと「人をあっと言わせたい」が、既に種なのではないだろうか。

 

驚かせたい楽しませたいは、所により良かれも含んだ喜びの種。

 

感心させたい、高く評価させたい、それによって地位対価を得たい等の自己実現の種もある。

 

種については以前に記事で書いたこともあるが、手品に限らず観察してみると大地だけでなく不覚社会にも日々、実に沢山の種が蒔かれている。

 

喜びの種、欲望の種、話の種、紛争の種、好奇心の種、遺恨を残す不満の種。

 

 

どんな種が芽を出し、どれ程根を深くしようとも、どんな火種で、育ったものが焼き払われようと、いのちの根源は全母たる虚空

 

すっかり忘れて、子の側から音信不通になっているだけである。

 

生きながら虚空に根を通じ無限育ち栄えるのは弥栄の意志と言う種のみ。

 

他の種は、根源に行き着かずに枯れ行くプログラムに沿って芽生えたり伸びたりして動いている。

 

それらは地に蒔く種と言うより、手を変え品を変えして存続を求める不覚と言う手品のタネになっている。

 

空に、たねもしかけもなし。

(2021/11/8)