《うんぬんかんぬん?》
「うんぬんかんぬん」のうんぬんを漢字にすると云々。
魂の字の左側にもある、云を繰り返すものになる。
後のかんぬんの方は、前のうんぬんを強調する表現であって、それ自体には意味はないらしい。
殆ど同じものを繰り返すことで煮詰まり感を出し、ちょっぴり変化もつけることで、
「とにかくあれこれと言う」
感じを出している。
実に上手い表現だと感心する。
うんぬんかんぬんは多くの辞書には記載されておらず俗語扱いになっている言葉だそうだが、「云々」だけであれば、大抵の辞書に載っている。
主に4つの意味があるとされ、大まかに分けると
「ぼかして省略する」
「あれこれ議論したり批評したりする」
「曖昧にして詳細を伏せる」
「(「…と云々」の形で)上に述べたことが引用や伝聞であることを示す」
時に使うそうである。
安定のふわふわ具合。
ブレずに云としての役割を全うしているとも言える。
安定してブレない曖昧さと言うのも、書いてみると何だか不思議な感じだが、世の中にはあるのだ。
もやもやもふわふわも、良いものでも悪いものでもない。
都合の悪いことを誤魔化そうとするのにも使えるだろうし、枝葉の部分をカットして脇道に逸れずに本筋に集中するのにも使えるだろう。
だが、内心のお喋りとして際限なくうんぬんかんぬんを繰り返し続けていれば、当たり前に意識は晴々とはならない。
云と白の字を意識に浮かべて静かに眺めていた時。
不意に、白がまっさらな譜面となり云がそこに文字や記号となって表される楽譜として映像化され、そのままストンと腑に落ちた。
空白に、書かれるもの。
魂魄はセットで、全母たる虚空の分神である分割意識と御神体とで、時と言う富を記す練習帳の様になっている。
書物ではなく楽譜の姿で映像が出たのは、それが書かれるだけでなく体験するものであるからだろう。
書くものには元がある。
虚空に記された富からの引用もあり、我の思い残しからの引用もある。
にんべんに云で、傳えるの傳を簡易的にした「伝」の字になる。
この云は專の略なので、雲ではなく「糸を紡ぐ」ことを表すそうだ。糸は意図に通じる。
伝説に憧れたり、伝統を重んじたり、宣伝で騒いだり、人は何かと伝えたがって云々やる。
そこに「伝えることによって○○を得たい」と言う個人的意図を差し挟まなければ、より純粋に虚空からのメッセージに通じ、必要な所にそれを届けることが出来るのだ。
空に通じなければ、
伝説も只のお喋り。
(2022/6/16)