《うみの苦しみ?》
ひょんなことから海に暮らす生き物の出産について調べていた宮司。
ちっちゃな卵の状態で沢山出て来て、そこから孵化して育って行くもの。
エイの様に、母親の胎内で孵化して生まれて来るもの。
タツノオトシゴの様に、メスから渡された受精卵をオスが腹にある育児嚢に入れて育て、稚魚として出産するもの。
少数派も含めると実に様々であり、その全てが海に抱かれて大きな一つの流れとして行われている。
その中では、「取り消し!」みたいな動きも起こる。
例えば、タツノオトシゴの近縁種であるヨウジウオ。
同じく育児嚢を使ってオスが出産をするが、生涯唯一の相手と添うと言われるタツノオトシゴと異なり、ヨウジウオは彼らにとって好ましい、体の大きなメスとの繁殖を常に待つそうだ。
そして既に“妊娠”しているオスであっても、より魅力的なメスと子孫を残す為に育児嚢を空ける必要を感じると、取り消しを行う。
体の小さな好ましくないメスが産み付けた卵の一部又は全部を死滅させ、そこから栄養を吸い取って来るべき望ましい妊娠に備えるのだそうだ。
善意も悪意もない、迷いない取り消し。
その判断は何を以て行われるのか、お喋りして情報交換する訳でもないヨウジウオ同士で「でっかいなぁ」「ちっちゃいなぁ」の印象はどうやって生まれるのか。
話が出来たら聞いてみたいことは沢山あるが、「自分の子を殺して何とも思わないのか」を尋ねる気はない。
それは質問の形式を取った非難であり、人間の尺度で判断し非道を責めることに意味はないし、それがヨウジウオの本道であるのならこちらが何かを言う必要はない。
取り消しもあるし、セイウチやトドなど海に暮らす哺乳類には陣痛もある。
出産にどんな痛みがあるのかは生き物それぞれから答を聞くことが出来ないので現時点ではっきりとは分からないが、おそらく
「痛いとか言っている場合じゃない」
の様な反応が返って来るのではないだろうか。
大変な状態であることが知れると、あっという間に食べられかねない環境だからだ。
だからみんな坦々と産むし、産んだ後も大騒ぎするでなく淡々と過ごす。
その様子を眺めていて、痛みと苦しみは別のものであることに改めて気づいた。
痛みはある。だが、苦しみはない。
自然の中で生きる動物が苦しむのは、怪我や病が治らずに死ぬまでの間位なのかも知れない。
だとすれば、出産の大変さを言い表す産みの苦しみや、物事を新しく作り出したり始めたりする時の苦労を表現する生みの苦しみは、意識が自然から離れた状態で初めて獲得出来た、人間ならではのものと言える。
何でこんなことを書かせて頂いたかと言えば、人が「うみの苦しみ」と言う時、何でかそれを自然なことの様に思っているから。
そうすることで逆に「うむには苦しまなければ」と言う条件付けが起き、結果として苦しみを自らこしらえたりしている。
それはもうご自由にと申し上げるしかないが、このうみの苦しみにも一理ある。
次週はそれについて書かせて頂く。
苦しみを起こすものとは。
(2023/7/13)