《いざ尋常に?》
「いざ、尋常に勝負しろ!」
昭和期に流行った時代劇と呼ばれる娯楽作品中で、こんな台詞が出て来ることがある。
腕力に任せた喧嘩の時ではなく刀を使った決闘、いわゆる真剣勝負の時に言われる。
この尋常って何だろなと、ふと浮かんで調べてみた。
すると尋常とは、
普通であること。
当たり前。
見苦しくないこと。
しとやか。
素直なこと。
潔いこと。
立派なこと。
と、出て来た。
てんでバラバラである。
「尋常でない」とは普通でないことを意味するので、元々は最初の「普通であること」が尋常だったはず。
ところが後に続く意味達を観察すると、何だかおかしなことになって来る。
3つ目はギリギリ身だしなみの大切さとして現代社会で普通と受け入れられるかも知れないが、4つ目位からもう「普通」とは言えない内容に。
「おしとやかなのが普通よ」などと言ったら、令和の世では即何らかのハラスメントに分類される気がする。
「素直じゃないねぇ」とか「潔く負けを認めろ」とか言う時の尋常には、個の都合を混ぜ込んだ
「普通さぁ、○○だよね」
が下敷きになっている。
言っている側にとってだけ都合の良いことを、普通と呼んで使っている。
下敷きが凸凹していれば真っ直ぐになる訳もなく、求められているのは素でも直もない「斜めった人好みの角度に合わせて斜めに同調」する状態。
「潔く負けを認めろ」の認めて欲しい負けも、勝ちたい側の都合によるものであれば、求められているのは潔さではなく都合良さである。
尋常の語源を調べてみると、「尋」も「常」も、長さの単位であるそうだ。
「尋」は8尺、「常」はその2倍の16尺を表した。
「2×4?」
何に使っていたのだろうか。
尋が8尺と言うのはこの単位を最初に定めた古代中国での話で、日本に渡ってからは6尺又は5尺を表したらしい。
又は?
単位ってこんなにフワフワした状態で機能するものだったろうか。
センチやグラムが、そんな風に扱われるのを見たことがない。
海を渡ることで尋にそんな縮みが起こると言うことは、倍に当たる常も一緒に12尺ないし10尺とずれ込むのだろうか。
尋や常を使って示す8尺や16尺は並みの長さであることから、「普通」や「当たり前」の意味に転じたと言われている。
何の長さとして“並”なのだろうか。
尋常についての説明に、“日本では、普通が目立たず上品であるという意識から、尋常は見苦しくないことや、立派なさまもいうようになった。”とあった。
上品や立派って、普通だろうか?
知れば知る程、謎が増える。
一層興味が湧き、尋常について調べてみて更に面白いことが分かった。
それについては木曜記事に書かせて頂くことにする。
尋ねて常を行くものとは?
(2023/1/16)