《灰と蠅》
「そう言えば二つあるわ」
「うるさい、とは?」と調べていて、うるさいに「煩い」と「五月蠅い」とツータイプあることに興味が湧いた。
片や火、片や蠅。
煩の字は燃える様に頭がカッカする状態を表しているそうだ。火の粉も蠅もどちらも飛ぶので、似ている所もある。
チリチリ熱くて、飛ばさずに居られない火の粉と、
ブンブンの音が、絶えず近づいたり離れたりの蠅。
致命傷じゃなくてもまあまあイライラする、と言ったところだろうか。
五月に蠅のうるさいは、蠅にとって過ごし易い気温と湿度を提供した旧暦五月の盛り上がりから生まれた。
蠅の繁忙期でのエンジョイ加減を見て出来た当て字だが、蠅は人を苛々させる為に飛ぶのではない。
生命維持活動、習慣、蠅が蠅である為に等、蠅サイドにも事情は色々あり、蠅都合の中で人の存在はそこまで重要じゃないだろう。
生ゴミや排泄物より蠅に好まれる人物って見たことがないのだ。
動物の死骸も人気と言うか蠅気がある様なので、ゾンビとかであれば、蠅好み選手権にエントリー出来そうである。
やる気のなさで表現する“生きる屍”程度では、実在する蠅の食指が動くかどうか。
ふと、生物としての蠅ではない“ごまのはえ”のことが浮かんだ。
胡麻の蠅は護摩の灰に同じで、昔々に弘法大師の護摩の灰と偽ったものを旅人に売りつけた人々が居たと言う話から、詐欺師や押し売りのことを意味する。
火の粉が散った後の灰も、音が似ているとして蠅に通じるとは面白いことである。
「蠅って胡麻にもたかるのだろうか、油分があるから?」
と、浮かんだ。「ごま」の音合わせだろうが、蠅的にも頂けるものは何でもありだろう。
胡麻の油分の様に、旨味を感じるものが“護摩”にもあるのだろうかとそこも面白かった。
何だって「うるさい」に興味があったのかと言えば、不覚社会の中に生じた「うっせぇわ」と歌うブームに、それをうるさいと感じる人々からの反撃が起こり、うるさいに対してのうるさいが又うるさがられと、
花火と蠅の投げ合い
的な、冗談みたいな動きが広がっているのを観察していたからである。
宮司を名乗る“これ”は、うっせぇわをうるさく感じなかった。
そうした言い放ちがなければ耐えられない程に溜まった鬱憤があるのは、どれ程辛いことだろうかとしみじみしただけである。
世の中全体が大きな変化を迫られて余裕がなくなっている時、未成年の様に自活力のない者達の小さな声が聞き流されてしまうことは多い。
遠慮したり、言っても無駄だと諦めて当人が引っ込めている場合もあるだろう。
だがそれで、不満や不安が消える訳ではない。
行き場を失ったものは、出口を求める。
掘った穴に「王様の耳はロバの耳!」と言う感じで放った憂さ晴らしに、「私も」「俺も」と加わる人が増え、音波で穴が掘り進められる摩訶不思議現象が発生。
地中をのびにのびた穴は突き抜けて筒抜けに。
彼らがうるさいと感じている人々、又、彼らにうるさがられているだろうなと感じている人々、その辺を歩いていた人々の元にまで音が届き「うるさい!」となった訳である。自他はない。
届いた側の中で、放った側の背景に意識を向けている者がどれだけ居るだろうか。
反応を観察していると、あるのは多くが「不快だ!」の反発か「自分も若い頃はやったもんだ」の思い返し。
「そうだそうだ!」の共感も少し見られた。
音の繰り返しに楽しさを感じて歌っているだけの様であっても、そこには溜め込まれたものが混ざっている。
スイカの種飛ばしの様な気安さや、唾を吐く様な反抗の中に、しまって置くには苦し過ぎて吐いたものが混ざっている。
道で吐いている人が居るのを見て、
背中に手をあててさすろうとする者と、
鼻をつまんで臭いから出すなと言う者と、
どちらが大人かは、明らかだろう。
初めは「どれ程辛いことだろうかとしみじみしただけ」だったが、そこから居てもたってもいられなくなり、出来ることに意識を向けた後、ピンと来て園芸用の土を買いに行った。
うっせぇわを抱える側の方々、世に言う未成年者の方々とお目にかかる機会がほぼない。
直接お役に立つことのない者でも出来ることとして、モノコトの新しくなること、特に土台の象徴ともなる土に着目して、そこに力を注いでみることにした。
ブレンドされたものから出発して、只今、土に熱視線である。
土と言っても様々。肥料も足すと更に色々あって、いのちがすくすくと育まれる丁寧な土台作りと言うテーマは、動的集中として素晴らしいものであると気づいた。
空間が全体一つであることがこれ程有難いとは、改めて感謝だ。
世のうっせぇわを水なし一錠で解決したりはしない、一見すれば何の関係もない様な動きだが、愛は愛に届いて通じる。
愛で注力し、汗をかいてみることにする。
そうして土から感じて受け取ったことを、更に様々な行動に変えて行く。
世の起こりを選り好みして、降りかかる火の粉や飛び交う蠅に見立てて払ってみる気はない。
土を肥やすものは蠅がたかる暇もなく速やかに土に鋤き込み、必要なら灰も肥料にする。
頂いたやる気を、活かすのみである。
音波も追い風に進む春。
(2021/3/8)