《アンサー1・印象操作をやめると》

 

10月にご提案した3つのチャレンジを実行することでもたらされる、3つの解答(恩寵)をお送りする今週の凡神宮。


本日は印象操作をやめたことでもたらされる恩寵についてご報告申し上げる。

 

印象操作は不覚者なら皆はまり込んでいる強力なクセであり、そこから抜ける試みは極めて肌理(きめ)細かな意識の集中を必要とする。

 

たとえちょいちょい忘れてしまって居てもである。

 

忘れたり思い出したりしながら、それでもこの試みを、腐らずに続けて来られた皆様は、ご自身の動向に意識的に留意したことで、

 

自ら(とする端末)を俯瞰で捉える力が増している。

 

そして、チャレンジ編でも「途方もない解放をもたらす」と申し上げたが、他への印象操作をやめることで、

 

ご自身の尊厳を周囲から取り戻されている。

 

「自他はない」とは素敵なポエムではなく、只の真実だ。

 印象操作の触手を他へ伸ばさなくなったことで、ご自身の首周りもスッキリされる。

 

大抵のパワーダウンは、印象操作をして奪い合う中で起こるエネルギーの過剰消費に基づいており、変容の底力を発揮するのには邪魔でしかない。


印象操作という燃費の悪いシステムに頼らなくなることで、全一に則した運びがスムーズに実現される。

そして、自身を俯瞰で捉えることで“今までどんな風に見られたかったのか”自然と浮き彫りになる。

 

見られたかったイメージの外にはみ出たところに、未だ祝えない要素が溜まっている。
全一に落書きして丸で囲った「こう見られたい・見られることを許せる自己像」の外にある要素も受け入れることで、全一感覚が復帰する。

 

それは「なりたくないものにもいちいちなってみよ」ということではない。

 

物理次元にある全ての要素に合格不合格のラインは本来ないし、後付けでラインを勝手に定める権利など分割意識にはないことをお認め頂くだけでいい

 

「娘の誕生祝いの宴に良さげな魔法使いだけ招待し、悪そうな方には宴のあることを秘密にした」王様とその一家が、後でどんなややこしいことになったか、思い出して頂ければと思う。

 

印象操作をオールクリアにして初めて、人型生命体は今まで意識が描いたどんな理想像よりも、生き生きと輝くことが出来る。

 

明るかろうが楽しかろうが、部分であるなら、全一に比ぶべくもない。

 

これに関して、重要な気づきを得る体験をしたことがある。

 

何の気になしに通りかかったある場所で、今も活動されているか知らないが、タレントの楽しんご氏をお見かけした。

連れと相当にシビアかつ込み入った話をしている様子で表情が非常に(けわ)しんご

 

その様子を通りすがりに眺めた瞬間、雷に打たれるような衝撃と気づきが起きた。

 

楽しんごが、いつも
楽しんごな訳ではない。

 

嬉しんごなことも、悲しんごなことも、不測の事態に取り乱しんごなことだってあるだろう。


だが何しんごであろうと、それはあの方の自由だ。

 

文字に起こすと「あったり前のこと」なのに、いざ目にすると感激しきりである。

 

「深い気づきをありがとうございます」と歩きながら、遠くなる2人に心の中で感謝し頭を下げた。

 

 

不覚から覚に変わると、起きることそのものがひとつひとつ愉快だし、自然に楽しい気分が発生する。
印象操作も駆使して楽しい姿をわざわざ作らなくても、勝手に楽しさが味わえる。

 

しんご氏がかつて作り出した楽しさは、そうした全一の楽しさとは異なるものだが、不覚者から気づきというラブ注入を、図らずも頂戴したりするのも新世界の面白さ。

 

印象操作の無意味さと限界を、目の当たりにすることが出来た。

 

上からは「化けの皮が剥がれる」という表現で言われたが、今後は次第に取り繕っても取り繕っても、祝えずに残して置いた部分が晒されるようになる。


 印象操作の古い覆いに使うエネルギーが、もう足らないからである。

 

本性が見えるなら自ら終えなくても結局同じこと?
いや、全く違っている。

 

“見せたい姿”自ら脱いでたたんで返却するのと、ひっぺがされるのでは訳が違う。
執着によって文字道理“肉迫”しているなら、「いい面の皮」でさえ済まずに、身までごっそり持っていかれる

 

 

印象操作という意識に染み着いた古いクセに対し、真摯に向き合いそこから卒業すると、「化けの皮剥がし祭」の前に、騒動を最もソフトな形でイチ抜けすることになる。しかも、パワーアップの特典付き。

 

最も重要なのは自らを、

 

印象操作でやり取りするエネルギーなど必要ない存在である

 

と、行動で表明することで、

 

自らの豊かさを、全母に公言されたこと。

 

この公言はそのまま光源となって放たれ、物理次元全体に波及し、当然のごとくふさわしい結びとなって、ご自身の元へ返ってくる。

 

恩寵の大盤振る舞い。

(2016/12/20)