視覚・聴覚・嗅覚と順を追って、月曜記事で毎週お伝えしてきましたが、書かれた内容を読み、そこから発想して自ら感覚的に捉えるのは、複雑ではなくとも集中力が要ります。読みやすくと心がけておりますものの、お疲れになることもあろうかと思います。
本日の記事は趣向を変え、言ってみれば単なる当神宮の現況報告で、課題性は一切無いものにいたしました。
「皆様に集中力の要ることをご提案している宮司の方は、じゃあどんな事態に身を置いているのか」をお知らせし、段階に応じて全員に課題が付与される、それに関しては平等である様をご覧頂ければと書いてみました。
記事にある椿事(珍事)によって“至事”が増えた為、宮司も一層の集中力を日々必要としています。
秋分へ向かうまでに一息入れる感じで、気楽にお読み下さればと思います。
では記事へ。
《神宮寺》
中秋の名月は常に仏滅。
元の字は「物滅」で「全てが空しくなるんでバッドな日」という意味だったが、「仏も滅しちゃうくらいバッドな日」として仏滅の字にリニューアルされた。
そんな仏滅の発祥を知らなかった頃は、十五夜と仏滅について「欠勤しちゃう位、月見が好きなのだろうか?仏達」と思っていた。
全てをゼロに帰するからこそ十全に新生出来るので、物滅ほどめでたいこともないのだが。
プラスやラッキーへの片寄りが膨れ上がった、分かりやすい例と言える。
それはそうと、ここのところやたら仏関係の意識体からのアクセスが増えている。
じゃんじゃんばりばりじゃんじゃんばりばり。
宮司の行動を促す内容で、記事で公開する予定は無いが、直にお目にかかる皆様にはお話しする機会もあるかも知れない。
宮司を名乗るだけあって、不覚時代から“これ“は、「 神 or 仏? 」では断然、神に縁づいていた端末だった。
生と死では常に生に対して親近感を持ち、神は生、仏は死をそれぞれ担当しているという印象があったので「仏?パスパス」な反応。
一応、表向きは「あ、尊い感じですよね。知ってます」と逆アルカイックスマイル対応で通していたが、仏に関しては正直なところ、
坊さん所有の
ポケモン
位の印象しか無かった。
それかブラック(墨染め)企業の広告塔か。
まぁ、神にしたってしょっぱい場所では同じ有様である。
今は、生あってこその死。そして真の生あってこその真の死と、はっきり理解している。無論真の死あっての真の生。
なので仏や仏教色の強い霊的存在に対しても、以前のパスパスな門前払いから「全一の内」な認識に変化していた。
キュートなところも見えてくる。
だからってさ。
この「だからってさ」は、ご参拝頂いている本気の皆様に申したのではない。
なまぐさ坊主やなまくら仏がどうなろうと知ったことではないが、神仏業界もピンキリで、進化に賛同して自らを取り巻く現状に見切りをつける仏達も、神と同様に相次いでいるようだ。
ようだというのは、気づくとどうにも
上が賑やか
何か得体が知れない程広がって、活況を呈している模様が伝わって来る。
そして情報アクセスの仏ラッシュ。
まさかの勝手な
増改築
「神も仏も一緒さ、ワンネス!」位は当然に思っていたが、神宮をこしらえると、セットで神宮寺も付いて来るとは。
「ご一緒にホトケは
いかがですか?」
コントにもなった昔の接客。
とか、言われてない。
だがそんな調子で、仏のアクセスが増加中なのである。
もう上は、どうなって行くのか。
サグラダファミリアばりの増改築ビジョンがチラ見えした時には顔をしかめたが、もう受け入れた。
目が覚めると本当に、「マジで!」から「まぁ、いいか」までが速くなる。
速くなるけど、だからってさ。
言ってよ!!
掃除しに行く訳じゃないし、そりゃ勝手な領域でしょうがビックリするよ。目が覚めてても。
先の「だからってさ」はそんな訳なのである。
だがまあ、好きにすればよろしい。
ずっと思っていたのだ、不覚の時から。
神であれ仏であれ、同じ場所に居続けることを求められ、人の暮らしに寄り添いながら、人の進化を一途に思い続けていたのなら、それは一体どんな思いであったのかと。
神仏だってのるかそるかの意を自ら宣れる時代が来たのなら、本当に素敵なことだ。
ということで「昔から神さんより仏さんにシンパシーあるのよね」という参拝者の方、仏も往来してますのでよろしくどうぞ。
カミ(上)のホトケ。
(2016/9/15)