《名前のない神》
“ちょいとお出かけも”と以前記事で申し上げたが、この所、週一ペースで社寺に出かけている。
上の神関係から言われた行いで、「神庭訪問(かていほうもん)」と言う。
土地土地の神の本意を問う至事で、変容の時代に全一に則して動くことを了承するかどうかの意を確認している。
向こうさんに呼ばれていることが多いのか、今の所ほぼほぼ振られたことはない。
あっても、なる程なと思う場所である。
特定の一族が繁栄する為に建てられたものであるとか、呼ばれたとこの近所にあってついでに寄ってみたものであるとか。
ついでに寄られても。
神社の石段を上がりながら、もう一体宮司という“これ”は全体の中で、どういう立ち位置になっているのかと首を傾げたりもするが、ともかくこなしている。
この出かけは、名の定まった神々を訪ねる一方で、名を失ったか、そもそも持たない神とのコンタクトを取る機会もかねている。
上の助言もあり【名のない神々入門編】として、その息吹を現時点で宮司は古墳に見出している。
と言っても、中にINしている人物を、神ってるとか見なしている訳ではない。
これと選定された場所そのものに在る地力の方に着目している。
銀座と言えば一等地とかの、地価基準が定められたりしていなかった時代。
太閤検地もなけりゃ記紀もありゃしない時代。
そこに生きた人々はどのように、住居や墓などを決める時いい感じの何かある土地を見つけていたのか。
何の気なしに選ぶには、余りにも当時の人間にとって周囲の自然は過酷であり脅威でもある。
言葉の力に大きく依っていなかった分、感じることでそれを為していたとしても不思議ではない。
自我の力が肥大するにつれて、不思議でないことの方が不思議になってしまった。
そんなこんなで都内某所にある、山全体を公園にした場所へ出かけた時のこと。
ポケをGOする人々が楽しんでいる中を通り抜けながら、多分宮司は山中で唯一ポケではなく古墳を探していた。
進めば進む程人の気配がなくなる。
山の上には、美術館とか児童公園とか結構色んな施設が建てられている。
フェンスに区切られ人が殆ど立ち入らない一角に、ひっそりと在る古墳に詣でた。
木々に囲まれそれは只そこにあった。
社殿もなく、注連縄だってない。
見上げる木々の間から、風と鳥の声が降りて来る。
麓には電車も走り人通りもあることは、いつの間にか忘れていた。
前日の雨で若干つるつる気味な古墳の、小高くなっている場所に上がり、その真ん中に立って見渡してみた。
明るく澄んだ気配、本当に淡く静かな力が満ちているのを感じる。
ふと、足元の地面に空いた丸い穴に気がついた。
蟻か何かの住まいだろうかと、ぽっかり空いた小さな暗闇をじっと見つめていたら、両足を伝って言うに言えない程細かな振動が渦を巻いて上がり、一瞬気が遠くなった。
その“器”の余りの大きさに、即座に全一へ向かうお力添えをお願いしたが、聞くまでもなかった。
満ちた喜びがそこにあった。
ずっと、全一を望んでおられたことが分かる。
こんな存在が、名もなく誉れもなく、ただ静かにゆったりと、様々な土地で微笑んでいるのだ。
名を持たないとはこれ程自由なことなのかと、呆気に取られた。
それ程澄んで、それ程さっぱりとした、それでいて優しい気配だった。
本当に素敵。
名がない故に対象を捉え難いが、正直懐かしの
どこも向かずのI Love Youは
つまるところのI Love All。
(2016/10/6)
~ご連絡~
来週は新しい試みの前編として、火・水・木の3日間連続で記事をお届けします。
次の大きな山場が冬至にあるようで、この山を利用した3つのチャレンジをご用意致しました。
3つとも取り組むのには勇気と根気の両方が欠かせませんが、2ヶ月半の間に実践を重ねられた方には着実に、もたらされるものがあります。
もたらされたものの発表と解説を、冬至を挟みこちらも3日間連続で、後編としてアップ致します。
その時にどれだけの深まりを見せるか、「毎日やれることやっているつもりだけど、これでどんだけ変わってるのかわかんないし、今いち手応えがね」と、現状に飽きておられる方にとっては、面白い試みではないかと思います。
ご興味を持たれた皆様は、どうぞ来週火曜日にご参拝下さい。