《再度の理由》
「だから繰り返すのか!」
先日ひょんなことから大きな気づきを受けて、宮司は感嘆の声をあげた。
切っ掛けとなったのは、4人と数えるのか、4匹と数えるのか、もうそこから不明な4つの謎の生命体。
左から、ティンキーウィンキー、ディプシー、ラーラ、ポーと言う。
彼らを総称して、テレタビーズと呼ぶ。
タビー(tubby)とは、「ずんぐりした体型」を意味する。
ずんぐりテレビちゃん、とでも言えるだろうか。
顔は、猿に似る。但し色はこの通りだし、各自違うかたちのアンテナが頭部に付いている。
頭に、アンテナ。
謎でしかないがその理由と、名前にテレが付く訳が彼らの腹部を見ると分かる。
テレビ付き!
彼らはこの腹画面に、人間世界の子供達の映像を流し、それを観て大喜びする。
『Teletubbies』はミレニアムちょい前辺りに、イギリスで製作放映された子供番組。
本国で人気を博し、後に日本でも放映された。
ご覧の通り、人なのか動物なのか良く分からない、可愛いのか不気味なのかも良く分からない、何とも言えない姿形をしている。
この不思議な雰囲気が、好む人々にとってはたまらない魅力となり大人気。
一方、好まない人々にも「何か引っかかる存在」として、かなり印象には残っているらしい。
まぁ、他に似たものがなく、忘れ難いのも分かる。
オリジナルも数年前まで放映していたし、リバイバル作品も現われて、彼らはちょくちょく戻って来て活躍している。
重要な情報は、時間数字を一旦置いても、又戻って来ることが良くある。
意識達が、求めるからである。
赤ちゃんの顔が中心になっている謎の太陽と、なだらかな緑の丘。
放し飼いのウサギ、あちこちに咲く花達、地中から出て来て喋るシャワーヘッドの様な管。
そして彼らの住まいと掃除機のヌーヌー。
腹画面が映る切っ掛けになる、キラキラした光を放つ風車。
以上が大体、テレタビーズの世界を構成するパーツとなる。
この摩訶不思議な世界で、何よりも彼らが楽しみにしているのが、メンバー誰かのお腹経由で子供達の姿を観ること。
余りに楽しいので、必ず「もっかい!」「もっかい!」とねだり、全く同じ映像が再度披露される。
先日ふと、彼らの姿がビジョンとなって現われたのだが、最初はピンと来なかった。
「色分けした猿達が、何だってんだ」
猿ではない。
「…4体で…、
繰り返し…?
…あ!」
で、冒頭の感嘆となった訳である。
ご覧頂いて分かる通り、白い肌のティンキーウィンキーは紫、浅黒い肌のディプシーは緑、褐色の肌をしたラーラは黄、そして薄く黄色い肌のポーは赤色に包まれた体をしている。
並んだ姿を観察する間にふと、彼らが“色の欠けた虹”であることに気がついたのだ。
本来は7色で機能するものが4色のみだと、永遠の子供の様な状態で再現付きの観察を繰り返す。
彼らテレタビーズは映像を楽しみはする。それはもう掛け値無く、全力で楽しむし、歓ぶ。
只、彼らは全体が進化する様な発見をしない。
そこに4色展開の限界がある。
当然「ない3色、どこ行った」となる訳だが、恐ろしい程ピシッと分かった。
黄のラーラがお気に入りなアイテムで、いつも持っているのがオレンジ色のボール。
7つの体についてご存知の方は気がつかれるだろうが、赤は肉体、次の橙は感情の体である。そしてその次の黄は思考の体。
何と、感情が思考のオモチャになっている。
そして、緑のディプシーは白と黒のまだら模様の帽子がお気に入り。
頭のアンテナが出る穴を開けといて、果たして帽子の意味があるのか分からないが、彼には大事らしい。
「白か黒か」と引っ切りなしに乱れ飛ぶジャッジを、帽子にして被るとは、エゴが肥大した緑ならではの動きだ。
ちなみにディプシーは恐がりだったりダサイことが嫌いだったり、ちょっとズレていて、うっかり八兵衛的な役割も担っている。
テレタビーランドに遊びに来たチョウチョが彼にだけつれない回など、観ていて唸る秀逸さである。
極めつけは、全く不足している青系統。
青と藍とが、本来はやわらかなマゼンタである七番目の体に重なって「ギュッと圧縮」されている。
その引っ括めの結果が、男なのに赤いハンドバックをさげて何処か女らしさもある、紫色したティンキーウィンキーの姿に現われている。
青と藍の「真っ直ぐ言葉を話す」「内側で両性を統合させる」と言う重要な部分が、よじれて縮まっていてはそれは大人にはならない。
内なる両性の統合は、「女っぽい男」で出来上がりとはならない。無論、「男っぽい女」でも同じだ。
ティンキーウィンキーのハンドバッグは本体より大きなものも、出し入れすることが出来る。
生滅自在の、女性性が持つ無限の可能性が赤い空間であるバッグに表れている。
余談だが、赤くて一番ちっちゃなポーは、「これから真価を発揮する男性性と女性性」の現れの様な、ピンクとブルーが可愛いスクーターを乗り回している。
ポーは「ポーのクーター」と呼び、所有は主張するが、「スクーター」と全部を言うことが出来ない。
謎めきながら、深遠なメッセージを発するありがたい存在達。
彼らの幼さから、大人になるのに必要なことと、その重要性を知ることが出来る。
不覚の意識も、ビジョンの繰り返し放映をしょっちゅうしている。
タビー達の様に2回放映で終わりもせず、下手したら際限なく繰り返す。
編集せずに繰り返すこともあるし、過去への後悔や未来への不安を織り交ぜて、虚しい「状況の編集」を続けて、更に事態を歪ませたりもする。
ビジョンを延々繰り返して為されることは只ひとつ。
今の薄まり。
繰り返しがきかないのを百も承知でせめて想像だけでは幾らでも自由にと、幻想に今を売り渡す時、不覚の夢は鮮やかにありありと意識を覆う。
今に集中し、虹の色全てが揃うと真の大人になり、来た情報も一回で味わい尽くすことが出来る。
そしてそれをヒントに、更に「全体が発展する様な気づき」を起こし始める。
テレタビーズは、何でも吸収出来るやわらかさを持った幼児期の意識達に、不覚の初めてを「一回だけ繰り返すこと」で丁寧に説明している。
彼ら自身も楽しみながら。
子供期には必要な仕事。但し、ずっとそこに留まるものではない。
昇華し尽くし、繰り返しをしない大人の仕事に変わるのが進化変容なのだ。
二度づけする、幼さの守護神。
(2018/11/8)