《ウェルカム・エンジン》
以前から、不思議に感じていた。
ちいさな人たちに尋ねる機会がないのでそのままになっているが、この存在への好感度の源って一体何だろうか。
可愛いのだろうか、かっこいいのだろうか、頼もしいのだろうか。
そのどれでもあるようだし、どれでもないようにも感じる。
説明不能の魅力?
いや、どこかに必ず理由があるはずだ。
そんなことを意識に浮かべながら米をといでいた時のこと。
「しっかし、不思議だ〜。
機関車にいきなり「顔」プラスだし、しかも血色ゼロの灰色。
どっちかっつたら不気味なのでは?
あのカナリヤとか、ヒヨコとか、トラ柄のネズミとか、
黄色で好かれるものはよく見るけど、灰色で笑顔で人気者なんて地蔵くらいしか…、
あっ!
あれ地蔵か!!」
地蔵は菩薩の中でも大変面倒見が良い存在。
と言うか、地蔵だけ桁違いに衆生と絡むアクションが多い。
イベントによっては塩を塗られたり、油をかけられたり。
基本は下にも置かぬ扱いを受ける菩薩群で唯一、ダチョウ倶楽部を超える体の張り方をする。
それもあって、人々に心安く親しまれて来た。
ここまで気さくな付き合い方、他の菩薩に出来るだろうか。
立派なお堂でなく道々にも置かれて、大人に限らず子供達にも何の気なしに手を合わせられたり語りかけられたりしていた地蔵菩薩。
だが、そんな季節はとうに過ぎた。
あの親しみ易い地蔵へのアクションさえ格段に目減りした現代では、仏サイドから人々に関われるチャンスってほぼないだろう、そんな風に感じていたが
こんな現われ方。
只、立って待つのではなく、見える所まで出向。
まさかあの顔つき機関車が、移動式の地蔵だったとは。
俄然興味が湧いてトーマス地蔵説を追っかけている最中、不意に「来迎図」を思い出した。
来迎図とは、平安時代に登場した仏画の様式で、仏が衆生を迎えに極楽浄土から人間世界へ下降する姿を描いたものである。
阿弥陀がメインで諸菩薩が脇侍となり、流行った当時は結構な人気だった。
仏の手に紐をつけて「ここを掴もう」と安心設計になっている、心のシートベルトみたいな『山越阿弥陀』とか。
仏の動きにスピード感が出る描かれ方の、今で言う「速達」や「翌朝お届け」みたいな『早来迎』とか。
各種サービスの充実ぶりに「必要は発明の母」と感心したものだ。
これらの来迎図は天、つまりあの世へのお迎え図なのだが、天ではなく地の蔵である地蔵バージョンは逆になる。
トーマス地蔵は、気の領域から物理次元に降り立って日の浅い端末達を迎え、「ようこそ実の領域へ!」と歓迎をしているのだ。
迎える色んな地蔵たち。
生まれておめでとう、生まれてありがとう。
そんな心尽くしの歓迎を歓べるなら、この次元のつかみはオッケーと言える。
「機関」や「原動機」「機構」、そして「汽車」を表すエンジンの語源であるラテン語のingenium(geniusとも)には、「生まれながらの才能」と言う意味がある。
トーマスと彼の仲間達には「歓迎する才能」が自然と備わっている。
真の才とは、愛に他ならない。
天意だけであれば、只そこに在りて満ちるのみ。
天意からの愛だけが、満ちる天意を運ぶことが出来る。
『機関車トーマス』の原作にあたる『汽車のえほん』シリーズを書いたウィルバート・オードリーは英国で国教区牧師の家に生まれた。
神の存在が生活の基盤にある一方で、住まいである牧師館の近くを鉄道が走っていた縁もあり、彼は少年の頃から汽車に興味を持つ鉄道愛好家でもあった。
成長しオクスフォードで文学と神学を学んだ後、自身も牧師となって家庭を築き、一男二女の父となる。
『汽車のえほん』は、はしかにかかり病床にあった長男の為に語って聴かせた話が元になっている。
神と言う「見えないもの」への畏怖と敬意
+
鉄道と言う「いのちのないはずのもの」への興味と敬意
+
親から子への慈しみと、いたわりに姿を変えた敬意
この3つが揃い融合したことで、高次元の天意が通う道が出来た。
「牧師だから」「鉄道が好きだから」「お父さんだから」どれか一つだけでは、到底生まれ得ない物語なのだ。
そして全てに敬意が在る。
エゴが勝手にイメージした「激しく揺らぐ熱情」の様な愛は偽愛である。
小賢しくアイアイ言う偽愛よりも、そんなこと一つも主張しない「問答無用の静かな敬意」の方が天意に満ちている。
天意を運んで走るこの動く地蔵は、身を以て「動いて貢献する歓び」や「次第に成長していく面白味」、「捧げると言う生き方」を示してくれる。
凡神宮寺での付き合いを重ねるごとに、「神≠教会」であるのと同様「仏≠仏教界」と実感する。
神仏と呼ばれるエネルギー体達は本来、敬われるとかそうでないとか、所属するとかしないとか、そんなことお構いなしに全体に貢献する。
神仏の名を借りたこまっしゃくれた吸血鬼共も居る世の中で、海を越えてやって来たこの機関車地蔵に、「物理次元の溢れる歓びを衆生に知らしめる」と言う仏の真性を感じ、大変爽やかな気持ちになった。
この場を借りて、不気味呼ばわりを詫びると共に、深く感謝を捧げたい。
史上最もポップな来迎。
(2017/8/21)