《ぐりとぐら その2》
知れば知る程に多くのことを受け取れる、実に中身の詰まった物語だ。
ぐりとぐらについて調べ、読み返し、聴いてみてを繰り返しながら、感心のあまり腕組みして唸った。
森で見つけた卵を使って、美味しいカステラを作って、みんなに振る舞う
言ってしまえば起きているのは、それだけである。
エゴが興奮する、素晴らしい栄誉も、危険を伴う冒険も、目の眩む様な財宝も、そこにはない。
だが人々はこの物語にある歓びや味わいを楽しみ、本の中の彼らと一緒に幸せを感じる。
中身を詰まったものにする為に、過剰な情報の盛り込みが必要ないことも、ぐりとぐらは教えてくれる。
そして実は、このシンプルで飲み込み易い内容が、真摯な観察と深い洞察による行き届いた下地に支えられていることを知る時、何故この二匹の野ネズミと彼らの世界がこれ程多くの人に受け入れられて好まれ、そして愛されてもいるのかに自然と納得が行く。
『ぐりとぐら』の表紙を見ると作者として「なかがわりえこ と おおむらゆりこ」と書かれている。
文を中川李枝子氏、絵を大村百合子氏が担当されており、この方々が姉妹であることを知って「成る程なぁ」と膝を打った。
男性性と女性性の調和を経て発揮される母性をこの作品から感じてはいたものの、ぐりとぐらは双子の兄弟である。
彼らの発揮する性別を超えた慈愛に、首を捻っていた。
7才までは神の化身と言った風に、幼い者を男でも女でもない「無性」とする捉え方もある。
ぐりとぐらは性が分化する前の存在なのだろうか。
しかし普く全てへ愛を振る舞い、それに歓びを感じるのは、無垢な純真さだけで出来ることではない。
必要な道具を揃え、手順に沿って料理をし、完成を頃合いまで待ち、出来たものを分かち合い、歓びを共にする。
幼児には出来ない仕事である。
「スーパーネズミ?」「男の母性?」と、首を捻り続けていたが、これが、
姉妹によって生み出された兄弟の物語
であれば、男女二名ずつのカルテットとなり、彼らが生む調和を作品から感じたのかとすんなり納得出来る。
姉妹である作者達にはない、兄弟の要素を加えたことで、『ぐりとぐら』は男らしさにも女らしさにも偏らない、自由な物語になったと言える。
調和については腑に落ちたが、そこから発揮される母性と慈愛についてはまだ不思議な感じが残っていた。
これには、文を担当された中川氏が当時現役の保母だったと知ることで再び「成る程ねぇ!」となった。
かつては女性の保育士を保母と言った。
今の今でも、場所によっては言うのかも知れないが、「性差を持たせない」「母や父の代わりではない」と言った考え方からだろうか、保母や保父は「保育士」に統一されて久しい。
武士が戦いのプロだったように、保育士もプロである。
「見守りのプロ」「お世話のプロ」「楽しみを共有するプロ」
プロ仕事の頼もしさはあるが、そこに母要素は求められない。
保育士やちいさな人達が互いの関係から母性を感じても、それはあまり公にはされない。
個母の領分を侵害する感じになるからかも知れない。
保母や保父は、個母や個父の持つ限界を超える存在に成り得るのだが。
中川氏もそうした個を超える“保育所での母”となられていた一人であり、彼女が親しみを込めて“子ども”と呼ぶ一人一人へ向けられた溢れる愛と歓びは、一つの場所に収まり切らずに本の形になって世に広がって行った。
何故「おりょうりすること たべること」から始まって、ぐりとぐらの絵本には必ず食べ物が出て来るのか。
それについて、インタビューの中でこんな風にお答えになられている。
“私の場合はいつも目の前に子どもたちがいて、子どもたちと「きょうは何して遊ぼうか」というのが私の仕事だったもんですから、楽しいことを追い求めてたわけね。子どもが喜ぶこと、子どもが楽しむことっていうと、どうも食べることだったらしいのね(笑)。”
「食べることは楽しいものなんだから、その楽しさを教えてあげましょう」と言った姿勢ではなく、様々なものに対するちいさな人達の反応を丁寧に観察した上での提供であったことを知って、「成る程成る程!!」と膝を打った手で額まで打った。
ちゃんと受け取ってから、何を出すか決めることが出来ている。
そして当時のことを話しながら笑いが出ている所に、御本人もそれを楽しみ、喜んでおられたことが伝わる。
相手に注意を向けることが、手間や配慮と言った形になって“犠牲化”していない。
これは中々凄いこと、そして昭和から令和にかけて日に日に難しくなっていることではないだろうか。
何故、日に日に難しくなっているのか。
そこをはっきりと腑に落とす大きな気づきが先日起こり、キッチンにて「あー!」と驚きを声に出した。
ぐりとぐらの様に「おりょうりすること」にじっくり向き合って、こちらの仕事を丁寧に深めていた折のことであったが、作品から離れて広がる程の、あのカステラみたいにでっかい気づきがやって来た。
ビックリし、有難いことと深く感謝した。
それについては、順を追って相応しいタイミングでお伝え申し上げることにする。
まずは、引き続き『ぐりとぐら』の成り立ちを知ることで発見した、重要なメッセージや真理について書かせて頂く。
どうにもこうにも、膨らむのである。
材料がとんでもないからかも知れない。
この双子を世に出したもうお一方の天才性や、作者二人から溢れる母性の素地となったものについても書く必要がある。
そして、『ぐりとぐら』を例にして全母の天意がモノコトを通じて世に出る時のポイントについても、今一度お知らせすることになる。
この記事カステラがどこまでふんわり大きく焼きあがるか、楽しんでご覧頂ければ幸甚である。
丁寧に、じっくり深める冬。
(2022/2/10)
《 1月の持ち越しふろく 凡カステラ 》
カステラは膨らむまで時間がかかります。
丁寧に揃えて混ぜて、器に流し込み、火を入れて、頃合いになるまで蓋をする。
そんな風にじっくりと何かに取り組む時、ササっと簡単やパパっと手早くでは分かり切れなかったことが腑に落ちたりします。
全てに対してする必要はなくても、何かこれと決めたものに、カステラを作る様に向き合われてみて下さい。
その時に役立つふろくをこしらえました。
流動する青い波の部分には、「ゆっくり時間をかけて美術展を観てみる」「苦手だった○○を美味しく食べてみる」等、してみることを、
点滅する赤い丸の部分には、場所や材料等、してみることに必要なモノコトについて詳しく、
青と赤が半々になった火の輪っかには、じっくりとどんなことを実行体験したか、
一番下の大きな大きなカステラには、それによって感じた味わいをお書き頂ける様になっています。