《駄目なもの?》

 

柔軟になると、何もかも別に駄目ではない分かる

 

全体の流れに沿わず、不自然であるもの。

 

これにもこれで、その時その場での役割がある。

 

駄目ではないし、あってはならない訳でもない

 

 

人は何かに対して無扱いして

 

「あってはならない」

「間違っている」

 

などの悪評与えることがある。

 

 

 

与えながら、そうしている自分の姿を、誰かが見ていることを意識する。

 

誰かとは他の人型生命体だったり、人がイメージした神仏だったり、虚空だったりする。

 

その誰かに「その通りだ」「君は正しいよ」「ちゃんと進んでいるよ」「見どころがあるよ」「すごい!」等、思っていて欲しいし、反応をして貰えたらもっと嬉しい

 

 

他の端末からは望んだような反応があるかも知れない。

 

神仏からも、引く神籤などを通じて、そうした“返し”があったと感じることもあるかも知れない。

 

だが、虚空の判定はしないし、評価もしない。

 

駄目かどうかを判定する人々のことも、駄目とは全く思わず、ただ天意で観察している

 

 

虚空は観ることを歓んでいるだけで、それについてあれやこれや思ったり検討したりしていない

 

ここが駄目だから、こうやって直そうとか、やっていない。

 

人が見えざるものイメージした神仏虚空叱る褒めるかして貰おうとするのは、何故なのか。

 

「そうやって良くして貰って、大丈夫になる私物語」を、脚本監督主演で作って行こうとしているから。

 

その元になっているのは、ここではなく理想的ないつかゴールに設定した「思い描き」なのだ。

 

そしてそれも、駄目ではない。

(2025/10/6)