ちから

 

「随分と派手な感じに動くなぁ」

 

と、興味深く感じていたのが先日の台風。

 

名称は「台風」であるが、大風だけでなくセットで大雨もやって来る。

 

そこに地震も加わったことで、交通機関に二重三重の影響が及ぶなどしてワイワイと騒ぎが大きくなった。

 

 

緩んだ所に揺れが加わったら、それは崩れもするだろう。

 

あちこち崩して、虚空も天地も何をしようとしているのだろうか。

 

当たり前だが何かを駄目と見なして「崩れろ!」と狙っている様になどは、感じない。

 

虚空物理次元にとっては当たり前の変化

 

 

それが、人の手によってガチガチに固められたものを通ると、抵抗が大きい分、派手に見える。

 

そんな所かも知れない。

 

凝り固まった部分を柔らかくしようとする時、早く成果を出したい人は強引に事を進めようとしたりする。

 

だがご承知の通り、解く時に必要なのは力の強さではない

 

 

きつく絡まった結び目を解こうとする時、無理に引っ張ったりすれば千切れる

 

世間一般でも、結び目を緩めようと言う時には、ソフトな感じで始めるのじゃないだろうか。

 

硬い土であれば、自然に土壌を柔らかくする役割を果たす植物を植える。

 

偏った考えでガチガチになった意識であれば、異なる視点のを持つ人々の話を聴き、少しずつ認識を変化させる。

 

 

何が「かたい」のかによって、アプローチは様々だが、いずれにしても力任せではどうにもならないことは明らかだ。

 

「こんな些細なことやって何になるのさ」

 

成果主義の人なら、そう感じる位にシンプル軽い動き

 

それを楽しく行い続けること。

 

解くは、その細かな動きの中に、着実に宿っているのだ。 

 

間が無くば、解けぬ。

(2026/6/29)

 

6月のふろく 《無に出会うメモ》

 

何も置かない場所を生活の中に出現させてみると、そこには小さな非日常が生まれます。

 

日毎に、常に、新しい。

 

その意味では、すっきりとしてそこに何も無いことも、真の日常と言えます。

 

ところが実際は、人の暮らしで日常と認識される状態には、大体、大量の物が同居しています。

 

見知った物ありきの日常を見慣れた目には、何も置かれていない空間が、非日常として映ることもあるでしょう。

 

部屋の一角でも、引き出し一つでも、どんな小さなサイズでも。

 

何も無い空間を用意し、それを観察して見られると、意識の中でも固定観念が解ける隙間が出来ます。

 

その観察に役立つメモをこしらえました。

 

 

何しろ無ですので、一回ごとに長々見ると、飽きるかも知れません。

 

ちょいちょい気軽に見てみるなどして、慣れ親しんだ日常風景から離れるスイッチとして活用するのも面白いものです。

 

生活に無の観察を取り入れてみて、何か意識に変化を感じたら上の箱の中にお書き頂ける様になっています。

 

開いた蓋の裏部分から、書き始めて頂いても結構です。