《自分を否定?》

 

お目にかかる機会のある方から、時折近況のご報告を頂戴することがある。

 

その中で先日、「そう言えば、不思議だ」と感じたものがあった。それは

 

自分を否定された

 

と言う表現

 

 

「自分で自分を否定すると言うことであれば、本来自他はないのでそれすら器用な話ではあるが、そうする根拠位は分かる

 

当人だけが、これまでの歩みや感じたことを事細かに記憶している。

 

その記憶すら曖昧なこともあり、完全ではないにせよ、誰よりも多く知っていることは確かだ。

 

だからざっくりとではあるが、

 

「私って丸ごと駄目

 

 

見なすこともあるのかも知れない。

 

だが、この「丸ごと駄目」見なしを、どんな者であれ、他者にどうやって行えるのだろうか。

 

全てを知っている訳でもない、他者に。

  

 また、どうやって逆に「丸ごと駄目見なされることが可能になるのだろうか。

 

定期的に顔を合わせる長い付き合いだったとしても、互いの内面の動きまでは分からない

 

 

一つ屋根の下に暮らす家族でも、分からないことはある

 

誰であれ、誰かを丸ごと否定することは不可能だ。

 

本人以外は。

 

「あなたの全てを否定します」

 

 

こんなことをこの世の誰が言えるだろうか。

 

また、言える立場にあるだろうか。

 

この奇妙感覚を、人間はどうして抱くことが出来るのか。

 

調べてみたら、興味深いことが分かった

 

それについては、次回記事にて書かせて頂く

 

出来ぬことを、された気に?

(2026/3/12)