《積めど変わらぬ》
先日記事にて書かせて頂いた大量の書類だけでなく、大量の書籍の処分も手伝うことになったのだが、これも中々面白い。
箱に移す作業をする為、片端から本を集めてまとめて行く。
するとタイトルに「座らない! 成果を出し続ける人の健康習慣」と書かれた本を発見。
次いで「姿勢をよくすると、人生がきらめく! 」と書かれた本が出て来た。
すぐ傍で買い集められた御本人が仕事をなさっているのを眺めたが、
座っているし、背中も思いきり丸まっている。
健康だけでなくお金に関する本も沢山出て来た。
だが、お話を伺う限り大富豪にはなっていないし、順風満帆と言う訳でもないようだ。
本さえ読めば金銭や健康が得られる訳ではないと言うことなのだろうが、それにしても不思議なのが、
何故「効果が出ない」まま、次から次へと手を伸ばし、古いものを手離さずに積んでおいたのだろうかと言う点。
酒や食品のように保存して発酵させれば風味が増すわけでもないだろうに。
実際「もう全部片づけて欲しい」と背を向けて、必要なものを選び出すこともしない。
持っていることすらお忘れになっている本が大半のようだった。
「……どう言うことだろう?」
と片付けながら問いが浮かび、ハッとなった。
目の前に並ぶ書棚は、一人の人物が数十年にわたって求め続けて来た「書いてあるようになりたいよ」「これは好きだよ楽しいよ」等の集まり。
つまりかつては大事な「自分コレクション」だったのだ。
だから効果がないものでも別れ難く、何となく取っておいてしまう。
背を向けて見もしない、と言うのは逆に未練が大きいのかも知れないとも気づいた。
失うものを
直視出来ぬ程に。
願望が含まれる内容のものを「ダメだった」と処分することが、損切りの様に感じられた場合、抵抗が生まれるのだろうか。
どれだけ積むかと言うことと、どれだけ身につくかと言うことは無関係である。
積んだからと言って、読むこととイコールにはならないし、
目を通したからと言って、理解することとイコールになる訳でもないのだ。
積めど変わらぬ人の有り様。
(2025/8/18)