《特なき世界》
柔軟でなければいけないとか。
忘れてはいけないとか。
「いけない」で括って作った禁止事項に気をつけながら、生きて行こうとする人も居る。
すると再び頑なになったり忘れたりした時に、「いけないことをした」と自分を減点することになる。
頑なだろうと、忘れようと、特にいけなくはない。
生きる上でその時に成した、一つの表現なのだ。
何をするにしても、減点や叱咤で自分を叩くのではなく、何が起きているのかを中立に観察して、時に応じた変化をすればそれで十分。
すると最も抵抗のない自然なルートで、進化や成長が生まれる。
過去を悔いる必要は特にないし、これから起こることを案じる必要も特にないと認める。
ここが腑に落ちれば、覚めていなかったとしても、人生の捉え方はとてもシンプルになるだろう。
肩の荷が下りることになり、軽くなった分だけ歩むことが楽しくなる。
思い描きに捉われなくなった分、視界が開ける。
するとこれまで気にも留めずに通り過ぎていた、細やかで小さな美しさに目が向く。
偶然の運びを軽いノリで楽しめる様になる。
力を入れて「これって必然だっ!!」と劇的にして、心のBGMをジャーンと鳴らしたりもしなくなる。
特別感やドラマティックな興奮が好きで、アタクシその為に生きておりますと言うなら勿論それも結構。
激しい心の動きを抱えたままで、この世界が絶え間なく表現し続ける繊細な美しさを味わうことは難しい、只それだけのことだ。
ノリが軽くなると、「偶然?必然?どっちも面白いよね」と、重要度を分けずに楽しめる。
実際、必然と言うなら、起こる全てがそうではないだろうか。
「ここからここまでが必然です」
「今日起きたこれは必然です」
そんな風に分けられることの方が今の今は、奇妙に感じられる。