《本気と発破》
先の記事で、地も空も気にしないと申し上げた。
気にしないし、気にならない。
ではそこに何の気もないのかと言えば、そうではない。
全体一つの流れに沿った本気が満ちている。
その為「気にかける」などをして、傾きを含んだ気を発生させる余地がないのだ。
かけると言うのは、引っ掛ける訳で、この時に気を生む姿勢は真っ直ぐではなく斜めになっている。
健やかで、何処にも寄らず中立に天と地を通る姿勢の時。
本気は天意からの愛に満ちて広がる。
「本気出せ!」と人がはっぱをかける時、そこに求められているのは本気と言うより強気の方だ。
「弱気になるな、強気で行け!」と、大差ない内容の要求。
これは、本気の本質を容易く見失わせる。
「はっぱをかける」も発破を掛けると書き、やはり掛かるので、こうした時に姿勢は斜めになる。
気にする、気にかける、気をもむ。
どれ一つ取っても、中立には出来ない。
「発破」とは、鉱山や土木工事で爆破に用いる火薬の類のこと。
爆発物を仕掛けるのに例えて、激しい言葉で気合をかけたり、励ましたりして奮起させることを表している。
発破を使って出そうとする本気に、自然な感じってするだろうか。
凝り固まって動かない状態を打破しようとする時、人は勢いをつけたがる。
ドカーンとやった勢いに紛れて、古い状態を抜け出そうとする。
このドカーンが、癖になってしまうことがある。
発破の刺激を求めて凝り固めた状態を作ると言う、訳の分からないことが起きたりするのだ。