《既にないもの》
年末となり、世の中では大掃除に精を出す人も多いこの時期。
役割を終えたものを感謝で送り出し、新しい年を迎える準備をする。
そうしたあれこれが一段落した所で、今年を振り返ってみるのも面白いことだ。
来た道を振り返った時。
「こんな場所に行った」とか、
「こんな人に会った」とか、
「こんなものを見た」とか、
「こんなことが出来るようになった」とか、
色々な“収穫”が浮かぶ人は多いかも知れない。
一年の計は元旦にありとも言うように、集計、つまり集められるプラスに人の意識は向かい易い。
本日記事では、得たものではなく逆に、既にないものに気づくことの意味について申し上げる。
あったものがなくなる時。
その別れが鮮やかであれば、人の記憶にも残るだろう。
だが、知らぬ間になくなっているものはどうだろうか。
染みついていた癖。
以前なら許せなかったもの。
これは苦手だなと言う感覚。
これはこうじゃなきゃと言う拘り。
形だけ残っていた古いお付き合い。
等々。
あまりにさり気なく、あまりにゆっくりと消化と昇華が起きたことで、気づかれていないことも多い。
消化されたことで、より自由に活き活きと生きることが可能になった、既にないもの。
それを発見して観察すると、今年起きた変化をより深く味わえる。
既にないものの代わりに、新しく訪れたものにも気づけるだろう。
行くもの、来るもの、深まり進むもの。
丁寧な観察でそれらを味わう時、歩む道は一層豊かで確かなものとして輝き出すのだ。
無に気づく、澄み渡る意識。
(2025/12/15)
12月のふろくその1《既にないもの発見メモ》
ないものを味わうと言うのは、中々に難しいかも知れません。
書き記すことでそれを分かり易くする、役だつものを拵えました。
今年のどこかでご自身の内外からなくなった、「既にないもの」とは何だろうと、内側に問います。
答が訪れたら、羽ばたく青い鳥の中へ、自由にお書き頂きます。
それがどんなものだったか、大体どのあたりでなくなったのか、ないことでどんな変化が起きたのか。
下のピンク色をしたフワフワの中には、消化と昇華を実感した後に感じたことや、代わりに訪れた新しいものがあればそれについて、お書き下さい。
既にないことの歓びを味わわれると、獲得と所有に重きを置く癖が溶けて、肩の力が抜けて軽やかに、終わりゆく巳年の尻尾の先まで、祝い尽くすことが出来ます。
