《戻らぬ流れ》

 

自分とは、人格と言う枠では測れないもの

 

前回記事にて、この様に書かせて頂いた

 

人格と言う枠に納めるには、あまりに矛盾の多い「自分」

 

幾度も申し上げている様に、人型生命体は本来あらゆる方向に動くことが可能

 

 

それを敢えて、

 

「自分と言えばこんな感じ

 

「自分はこんなことしない

 

「自分はこうありたい」etc

 

あれこれと、限定している。

 

 

これは勿論、悪いことではない

 

良いことではないのと同じに。

 

本来はどの方向にも行けると分かっていれば、行動によって一つの結果が生まれたとしても、そこに縛られない

 

良かったのか悪かったのかだとか、

 

 

勝ったのか負けたのかだとか、

 

意味や価値有ったのか無かったのかとか、

 

どの判定にも、そこにはいつも「自分」必要になる。

 

自分にとってどうなのかと判定しながら暮らすことも、特に良くも悪くもない

 

 

「自分」と言う基準に従って、人生を作り上げることを人類は繰り返して来た。

 

それは劣ることでもないし、不幸でもない

 

単に、個を超えて全体一つで生きることがないだけだ。

 

そうであるだけ、そしてもう去り行くものである。

 

元には戻らぬ。

 

(2026/3/19)