《強いる時》
こうしてやろうああしてやろうと、何かに向けてはたらきかけを行う時。
それがどれだけ良かれと思い、
また、正しいことをしていると信じ、
人々の幸福を願うものだとしても、
「やろう」の思いがある限り、強いている。
そしてそれは固い動きだ。
絶対に許してはならない、間違った奴ら。
話にならない、分かり合えない奴ら。
そんな風に感じる相手を、全体一つをイメージした中から追い出そうとする時。
全体とは何かを理解していない。
どれもこれも全体の中にあるのだ。
何に対しても強いることをしないと、とても楽になる。
誰にも何も強いたりはしないが、他者から強いられることはあると言う人々もいる。
そうした時は、その強いられている様に感じることと引き換えに、自らが相手から得ているものについて観察する必要がある。
守って貰える立場の安心感とか。
慣れ親しんだノリの落ち着きとか。
暮らしの保証、面子、セルフイメージetc。
そして、それ無しで生きられない原因についても観察する必要がある。
何故ならそこに自由の鍵、人は本来自由な存在だと気づけるポイントがあるからだ。
精神的な自由。肉体的な自由。
これは本来分かれていない。
経済的な自由。時間的な自由。
これも本来分かれていない。
自由をばらばらにしようとするのは、得たいものの為に、自他に不自由を強いろうとする人の都合なのだ。