《巡り巡って》
目が覚めてからも、知らないことを知って行くのはとても面白い。
寧ろ「知らぬは恥」の概念が無くなるので、「そうなのか!」の驚きはシンプルで新鮮なものとなる。
つい先日も、そんな驚きを体験した。
切っ掛けは、土壌の再生が地球環境にもたらす可能性について学んだことだった。
現在も行われている工業型農業は、何も無い所からポッと出て来た訳ではなかったことを知った。
長く続いた大戦が終結した後。
使用されていた化学兵器は人ではなく虫を駆除する殺虫剤にもなり、戦勝国に持ち帰られて利用された。
そこから化学肥料の使用なども広まり、同時に、戦車など兵器を作る技術を転用して、土を砕き均一にする耕作機が作られたらしい。
戦争が切っ掛け。
人間同士の戦いが表向きは終わっても、不覚の人々が抱える闘争心は消えない。
誰かに勝ちたい。秀でたい。恵まれたい。
その思いが転用されたのが、経済戦争や受験戦争などの生存競争や、各種スポーツであることは理解していた。
だが農地の様に、人間ではない対象に狙いを定めた、一方的な挑戦も続けられていたのだ。
これは戦争とは呼べないかも知れない。
殺虫剤や合成窒素肥料、耕作によって姿を消した、土中に棲む目に見えない小さな生命達は、何ら抵抗の余地を持たないからだ。
何にしても、人間同士の戦争に勝ったことで得た、興奮の継続を求めて踏み出した動きだと言うのは興味深い。
ほぼ無抵抗に見えた大地を使って、一時期は望み通りの収穫を行っていた人類に再び変化が訪れた。
勝ちを求めて全体性を無視した闇雲な増産が、土地の砂漠化を生む。
そして異常気象を引き起こすことに繋がったのだ。
「成程なぁ」と、深く頷いた。
物言わぬ大地を支配しようとして挑んだ戦いは、巡り巡って人が大地に暮らすことを難しくしている。
全体一つであることを認めるのに、ここまで分かり易い例も珍しいのじゃないだろうか。
支配しきれぬ、巡り巡る世界。
(2026/6/8)
