いわみず

 

天と地の間で真っ直ぐ立ち全身“観る”時。

 

歓びと共に、その行動自然と全体一つの流れに沿って進む

 

頑張って善い行いをしようとしなくても。

 

気を配って徳を積もうとしなくても。

 

どんな風に流れるかは、その時々に合わせて様々に変わる

 

 

流れ全体勢いを増しているが、時と場所によって緩やかに変わったりもする。

 

だから面白い

 

柔軟に、どの方向にも動けると、この面白さ十分味わうことが出来る

 

「良い流れに変わって欲しいけど、慣れていて安心なこの場所から動きたくない」

 

 

それは無理な話である。

 

岩で居続けながら、水になりたいと願う様なものだ。

 

それも、温度や速度や透明度が保たれた、良い感じだと想像出来る水なりたいと。

 

「どうせ駄目ですよね」苦笑いを足して、無茶に苦茶を足した無茶苦茶セットにした上で、やっぱり願い自体は手離さない

 

不覚の分割意識は、この様に変てこな離れ業をやってのけている。

 

 

慣れていて安心な“この場所”とは住まいに限らない。

 

立場もそうであるし、特定の方向に傾いた物の見方や考え方もそうだ。

 

物理次元は常にし、している。

 

どんなに気に入って好ましい感じに整えているものだろうと、表に現れる現象を手の中に握り続けることは出来ない

 

 

 

それを認めると、今この時感謝して深く味わうことが出来る

 

知るだけでは不十分だ。

 

はっきりと、認めること。

 

これも又、全体一つの流れに沿った、天意からの愛による動きである。

 

岩砕けども、絶えぬ流れ。

(2025/10/23)

次回更新は28日(火)になります。