《塵も積もれば?》

 

多様な生命の循環が失われたは、塵状になると言う。

 

塵も積もれば山となり、その山の上をが通れば泥となって流れ落ちる。

 

泥は落ちた先に溜まり、そこにがあったなら流れを塞ぐ。

 

「あれっ、チリツモなのに雲行きが怪しいな」

 

と、興味深く眺めた

 

 

塵が積もって山になる動きは、良いことの例えとして使われる。

 

「塵も積もれば山となる」とは、ごく小さなものやわずかな努力でも、コツコツ積み重ねればやがて大きな成果になるという意味の諺。

 

「大智度論」などの、仏教書に由来するそうだ。

 

その一歩は小さくとも地道に努力を続ければ、いつしか大きな成果となる。

 

だから小さなことも疎かにするな、と言う意味もある。

 

 

山と言えばこんなフレーズもある。

 

「動かざること山の如し」

 

これは、守るべき時には山のように落ち着いて構え、決して無駄に動かない揺るがぬ態度を意味すると言う。

 

こちらは中国の兵法書「孫子」の一節から出て来て、武田信玄の風林火山の旗印でもお馴染みとなる。

 

 

最初は塵の様に小さかったものが、大きな山となる。

 

これを人は発展的で景気のいい話として称えたりする。

 

だが塵の山だと強風によって、どこかに飛ばされて跡形もなくなったりする

 

「ひとへに風の前の塵に同じ」と言った例えもある。

 

これは「平家物語」の冒頭、祇園精舎の一節で知られたフレーズである。

 

 

塵も積もれば山となると、

 

動かざること山の如しと、

 

ひとへに風の前の塵に同じ。

 

まとめてみると「あれ?」と、気がつきそうなものだが、どれも一つずつ取り上げられて、人々に受け入れられている。

 

都合に合わせて、見たいものを見て、聞きたいものを聞き、使いたい例えを使う。

 

不覚ならではの器用さと言える。

 

塵も積もれば泥にもなる。

(2026/6/15)