これは何を意味しているのか。
まず分かっているのは、これを仰られた方にとって「土に還ろうとしている」とは異なるものである言うこと。
そうでなければ、不思議そうな顔をすると言う反応が出るだろうか。
形を解いて、死と言う表現を通して「かえる」のではないのなら、何を以て「かえる」とするのか。
土は物理次元で、どの様な役割を、どんな在り方で果たしているのかと意識を向けてみた。
土中では無数の微生物が活動している。
土は彼らの生きる場所となり、そこで行われる微細な生命活動は、更に大きな命を育む。
植物が育ち、その植物はまた多くの動物の食料となって、いのちが巡る動きを支える。
小さな生命の宝庫として見てみると実は賑やかな土だが、その在り方はとても静かだ。
静と動を兼ね備え、全体一つの流れの中で、誰におもねるでもなく、誰と争う訳でもなく、坦々としている。
中立で、自立し、健やかで、惜しみない。
こうした土の様な在り方に、人の姿をしたままで「かえる」と言うこと。
あの時の「土にかえろうと…」を、そうした意味で仰られていたのなら、興味深いことである。
覚めぬまま不覚社会に生きていても、ここまで感覚的に気づく人も居る。
その方は、「趣味もないし、ギャンブルとか色々試してみましたが何にもハマれない。仕事を終えた後に一日を振り返りながら、少しお酒を飲む時間が一番楽しいです」と仰られていた。
こうしたシンプルな意識で生きる人々は、静かに増えているのだろう。