《一つの差》
狭い道を挟んで、木造の家屋が多く建つ場所。
大きく高い建物の中に、小さな住居が沢山詰まった場所。
いずれも古い情報が密集した所で、長く火が燃える出来事が国内外で起きた。
火の回りが早かったことや高齢の方が多く住む場所だったこと等も似ている。
だが、大きく異なるのは亡くなった人の数である。
彼らの意識と御神体に天意からの愛を送り、それから両方の出来事を静かに観察した。
そして、気づいたことがある。
死者や負傷者が少なかった場所では、普段から誰がどこに住んでいるか、どんな人物なのかと言った情報が知られ、互いに交流があった。
そして驚く様な事態に遭遇した時に、互いが出来る協力をしあって、火から離れた場所に移動した。
そしてそれを取材に来た人に、「当たり前のこと」「普段通り」と話しておられた。
全体一つではなくあくまでもその地域を“全体”と見なしてのことになるが全体性と、そして柔軟性があったと言える。
住み慣れた我が家が思い出の品と共に一切合切無くなるというのは、殆どの人にとって衝撃であるだろう。
加齢の影響で気力や体力が衰えている人であれば、それは尚更と言う気がする。
何もかも、もうどうでも良いとさえ思うことだって、あるかも知れない。
近所の人の呼びかけに答えて付き添われ、燃え行く我が家を置いて去る。
この決断が出来たのは、個より全体に判断を任せていたから、そして全体に沿うことに希望を見出していたからではないだろうか。
とは言えこれは、百倍以上の人が亡くなったもう一つのケースに当てはめられることではない。
たとえ同じ位の交流があったとしても、人の力の及ばない、一つの決定的な差で、御神体をスムーズに別の場所へ移動させることは叶わなかったろう。
その差について意識を向けていた所、再び気づきが来た。
次回記事ではそのことについて書かせて頂く。