《どちらか一方?》
お目にかかる機会のある方々から、新年のご挨拶を頂く中で先日こんなことを伺った時。
「(人のことで多用だったので)今年は自分のことを優先する」
その宣言が、不思議なことに感じられて、「何故?どうやって?」となった。
本質的に自他はないのだから不思議。
それは確かにそうだが、今回注目したのはそこではない。
どんどん自分を優先して当たり前だから不思議、などと言うことでも勿論ない。
不思議なのは、どうして
どちらか一方でなければならないのか?
と言う点なのだ。
様々なことが起こり得る生活の中で、他者のこと、自分のこと、どちらか一方に力をかけた姿勢を保ち続けることなど出来るだろうか?
そして人のことばかり、と言うのも本当に「ALL人のことだけ」だろうか?
世の為人の為に尽くしていて自分のことはいつも後回し…と公言する人が居るとする。
その人が行動する理由の中にも「冷たい人間だと思われたくない」と言った、実は「自分の為」であるものが眠っていたりする。
人に尽くし続ける、もしくは尽くそうと努め続ける、いじらしい善良な自己像を壊したくない。
人に尽くすことを強いられ続ける、気の毒で可哀想な自己像を壊したくない。
そうしたことであれば、それも又、一つの自己都合なのだ。
どちらか一方でなくてはならないと言う思い込みは、「私と言うこのキャラクターは終始こんな感じでなければ」と言う固定観念が支えている。
「こうに決まってる」と閉め切ったものを「とは限らないよね」に変えて開き、新しい空気をそこに通す時。
「自他両方なんて無理だよ」と諦め切ったものを「常に両方でなくとも、交互や順々や時折変えることが何故無理なの?」と気づく時。
凝り固まった物の見方に柔軟性が生まれる。
必要なのは、錆びついて固まった所を少しずつ動かす根気で、これまでとはちょっとだけ違う行動は意識のエクササイズとなるのだ。
小さな動きで、変わるもの。
(2026/1/12)
